J2でのプレー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:42 UTC 版)
J1クラブも含めて複数のオファーの中から、最も熱心に誘われたJ2・ロアッソ熊本に移籍した。これはロアッソ熊本のスポンサーであった藤田株式会社の藤田勲社長が同じ藤田姓の縁で強く獲得を希望してのものだった。その際、藤田の獲得資金としてスポンサー料を倍額にしている。 2009年シーズンは、51試合中50試合に出場、スタメンでの起用が多く4得点を挙げた。2010年は途中出場中心ながら20試合以上に出場し、2得点を挙げていたが、11月22日、藤田の意向により家庭の事情を理由 にロアッソ熊本を退団する事が発表された。なお、2010年度中に日本サッカー協会指導者ライセンスA級ジェネラルを取得している。 2011年シーズンより、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍するも、同年限りで退団した。 2012年1月12日の平成23年度日本サッカー協会(JFA)第9回理事会で、公認S級コーチ・ライセンス養成講習会受講者20名に認定された。 2012年6月27日、自身の公式サイトから現役引退を表明した。J1では通算419試合100ゴールの成績を残した。7月3日に引退会見を行い、「幸せなサッカー人生を送らせてもらったが、引退することを決めました。最後はいくつかのクラブからオファーをいただき悩みましたが、欧州クラブで監督をしたい気持ちがあった」などと語った。
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