ハリソン・ディラード
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 15:29 UTC 版)
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ヘルシンキオリンピックでのハリソン・ディラード、1952年。
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選手情報 | |||||||||||||||||||||
フルネーム | ウィリアム・ハリソン・ディラード | ||||||||||||||||||||
国籍 | ![]() |
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種目 | 短距離走 | ||||||||||||||||||||
生年月日 | 1923年7月8日 | ||||||||||||||||||||
生誕地 | オハイオ州クリーブランド | ||||||||||||||||||||
没年月日 | 2019年11月15日(96歳没) | ||||||||||||||||||||
死没地 | オハイオ州クリーブランド | ||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||
自己ベスト | 100m:10秒3(1947年) 200m:20秒8(1948年) |
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ハリソン・ディラード(Harrison Dillard、1923年7月8日 - 2019年11月15日)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手。1948年ロンドン、1952年ヘルシンキオリンピックに出場し4つの金メダルを獲得した選手である。ロンドン大会では100m、ヘルシンキ大会では110mハードルで金メダルを獲得している。短距離、ハードルと両種目を制覇した男子選手は、オリンピック史上ディラードただ一人である。
経歴
ディラードは第二次世界大戦から復員し、大学で陸上競技に取り組んでいた。ハードル競技に特に才能を見せ、戦後間もない頃では世界トップレベルに位置していた。しかし、1948年のオリンピック選考会で失敗し出場を逃してしまう。ただ、専門ではなかった100mでは3位となりオリンピック出場を果たした。
ロンドンオリンピック100m決勝は同じアメリカのバーニー・ユーウェルと10秒3の同タイムでゴールするデッドヒートで、写真判定に持ち込まれた。オリンピック史上初となる写真判定となったゴール写真ではディラードが先着しており、1つめの金メダルを獲得した。 この後出場した4×100mリレーでも3走を任され、40秒6のタイムで金メダルを獲得した。
4年後、ディラードは110mハードルでアメリカ代表の座を獲得する。そして、オリンピックでは13秒7のタイムで金メダルを獲得。さらに、4×100mリレーの代表として4つめの金メダルを獲得した。
2019年11月15日、クリーブランドの病院で死去[1]。96歳没。
脚注
- ^ “ロンドン五輪金メダリストのディラード氏が死去、96歳”. サンスポ. (2019年11月16日) 2019年11月17日閲覧。
外部リンク
- ハリソン・ディラード - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)(英語)
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固有名詞の分類
アメリカ合衆国の陸上競技選手 |
アーチー・ウィリアムズ リー・エバンス ハリソン・ディラード ディニアン・ハワード ローリン・ウィリアムズ |
オリンピック陸上競技アメリカ合衆国代表選手 |
アーチー・ウィリアムズ リー・エバンス ハリソン・ディラード ローリン・ウィリアムズ チャールズ・ドボラク |
短距離走の選手 |
リー・エバンス チョネ・デライ ハリソン・ディラード ビセンチ・デ・リマ マリタ・コッホ |
ハードル選手 |
サンドラ・ファーマー=パトリック サミュエル・マテテ ハリソン・ディラード トーマス・ムンケルト イリーナ・プレス |
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