FIFA W杯
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ワールドカップ予選へは1998年、2002年、2006年、2010年と4度参加し、通算34試合25得点を記録している。個十分な結果を出し続けていたが、ワールドカップへはなかなか辿り付く事はできなかった。 しかし2010年南アフリカW杯予選では最終予選から代表に復帰し、復帰直後のトリニダード・トバゴ戦にて得点を挙げるなど9試合7得点と活躍、チーム得点王となり、28年ぶりとなる本大会出場に大きく貢献した。 スペイン、チリ、スイスと同じグループHに入った本大会では、厳しい戦いが予想される中チームの鍵を握り、年齢的に最後と考えられている世界の大舞台での活躍が期待されていた。しかし、予選でコンビを組んでいたカルロ・コストリーがメンバー発表直前に所属クラブで骨折、ゲームメーカーのフリオ・セサル・レオンが初戦のチリ戦前日に負傷で大会離脱・予備登録選手と入れ替え、「ホンジュラスの怪人」と呼ばれるダビド・スアソが大会期間中を通して故障に悩まされるなど主力が揃わず、自身は初戦のチリ戦に先発出場したものの、周囲との連携、コンビネーション不足もあり、前線で孤立するシーンが目立ち、目立った動きを披露することなく後半に途中交代となった。自身も万全のコンディションとは言えず(既にヘルニアの影響が出ていたものと思われる)、その後の2試合に出場機会は得られず、国内では「ホンジュラス史上最強」と言われていたチームともども実力を発揮できたとは言い難く、1分け2敗のグループ最下位で大会を去ることになった。
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