CP女の会の結成
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1974年、青い芝の会神奈川連合会の婦人部として結成。後に連合会から離れて活動を行う。「女性障害者の「子宮摘出問題」や後にみる「八王子事件」などが起こるなかで「青い芝婦人部」としてではなく自分たちの立場をより明確にした活動が必要だと考えた女性たちによってこの会は成立した」「女たちは,子育ての中から生まれる新たな地域との摩擦の中で,男たちとは違う差別や偏見を味わい始めていた.男たちは、障害者運動に夢とロマンをかけ、女たちは、日々の生活をかけた」と会員の内田みどりは語る。CP女の会は「これまでの男性を主体とし「思想」を前面に押し出した運動ではなく、実際の生活の中での差別にどのように抗するかを話し合う会としての性格を明確にした。」と研究者の瀬山紀子は記している。 会としては、横浜高島屋事件(1977年3月11日)への抗議とビラまき、『女性自身』(1987年7月15日号)の記事「シリーズ――子宮摘出」を端に発する論争を行い、1994年には活動20周年を記念して「おんなとして、CPとして」(1994年、CP女の会出版)を出版した。 主な会員として、内田みどり、小仲居千鶴子、漆原萩絵、小山清子、横田淑子、矢田佐和子らがいる。
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