Battle of Omdurmanとは? わかりやすく解説

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オムダーマンの戦い

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 16:56 UTC 版)

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オムダーマンの戦い

"第21槍騎兵連隊の突撃"
Edward Matthew Hale画
戦争マフディー戦争
年月日:1898年9月2日
場所オムドゥルマン, ハルツーム, スーダン
結果:イギリスの大勝
交戦勢力
イギリス
エジプト
マフディ国家
指導者・指揮官
ホレイショ・キッチナー アブダッラーヒ・イブン=ムハンマド英語版
戦力
イギリス軍8,200人
スーダン・エジプト軍17,600人
機関銃:20[1]
マフディー軍52,000人
損害
死者50人[1]
負傷者340人
死者9,700人
負傷者13,000人
捕虜5,000人

オムドゥルマンの戦い (英語: Battle of Omdurman) (1898年9月2日)は、ホレイショ・ハーバート・キッチナーが率いるイギリスエジプト軍が、アブダッラーヒ・イブン=ムハンマド英語版マフディー軍を撃破した戦闘である。オムドゥルマンは現在のスーダンの首都ハルツームナイル川を挟んで西側に位置する村で、1884年マフディー運動の指導者だったムハンマド・アフマドが拠点を置き、その後マフディー国家の首都となっていた。

開戦前

この戦いではオムドゥルマンの北方11kmに位置するケッレーリが戦場となった。キッチナーは8000名のイギリス軍正規兵と17000名のスーダン人からなるエジプト軍とを率いていたが、彼は河川砲艦の支援を受けられるナイル川沿いのエゲイガ村を囲むように部隊を配置した。またこの場所は両側に丘が控える広く平坦な地形をしていた。一方のマフディー軍は3000名程度の騎兵を含む約50000名を擁し、5つの集団に分かれて英・埃軍と対峙した。

戦闘

戦闘は早朝の午前6時頃に始まった。陣地に向かってくるマフディー軍の第一波に対して、英・埃軍の砲兵は距離2750メートルから砲撃を開始し、これによってマフディー軍はライフル機関銃マキシム機関銃が導入されていた[1])の射程に入る前にその数を急速に減らすこととなった。同様の事態は英・埃軍陣地前面の各所で展開され、マフディー軍は敵の陣地に取り付くことが出来なかった。

キッチナーはマフディー軍の攻勢が頓挫したのを見て、敵軍がオムドゥルマンに退き再編する前に占領しようとして追撃命令を出した。これを受けて騎兵が前進したが、そのうち第21槍騎兵連隊は少数のマフディー軍兵士が散発的な攻撃を仕掛けてくるのを見てそちらに進路を変更した。しかし部隊が敵に近付くや、少数と思われた敵の背後の窪地に2500名以上のマフディー軍部隊(騎兵連隊は400名程度の人数)が隠れているのを発見した。多数の敵の出現に驚きつつも連隊はこの敵軍に向けて攻撃を敢行、やがてこれを撃退することに成功した。またこの時、連隊には後にイギリスの首相となるウィンストン・チャーチルも記者として従軍していた。

英・埃軍が追撃態勢に入っていた間にマフディー軍の主力は部隊の再編に成功し、再度北と西から英・埃軍に迫った。この攻勢の正面に位置していたのはヘクター・マクドナルドが率いるエジプト軍のスーダン人旅団だったが、機関銃とライフルを装備するこの部隊はまず西からの攻勢を食い止めることに成功した。さらに味方騎兵の機動によって進撃が遅れていた北からのマフディー軍の攻勢に対しても、リンカーンシャー連隊の増援もあってこれを撃退した。

結果

この攻勢の失敗によってついにマフディー軍は壊滅し、約10000名が戦死した他13000名が負傷、また5000名が捕虜となった。一方の英・埃軍は47名の戦死者と382名の負傷者(その多くは集中的に攻撃を受けたマクドナルドの旅団から出た)を出したのみだった。

脚注

  1. ^ a b c (中国語)『圖說兵器戰爭史』 陳仲丹,(香港)三聯書店有限責任会社,2004年,ISBN 962-04-2348-8

「Battle of Omdurman」の例文・使い方・用例・文例

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