Batman vs. Superman
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「バットマンの映画作品」の記事における「Batman vs. Superman」の解説
ワーナー・ブラザースはJ・J・エイブラムスの『Superman: Flyby』をマックG監督下で進めていた。しかしマックGが『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』を優先させるために降板すると、ワーナーは『Superman: Flyby』の監督としてウォルフガング・ペーターゼンに接近し、さらに2001年8月、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーが『Batman vs Superman』のアイデアを売り込んでくるとペーターゼンをその監督とした。『Superman: Flyby』は一時保留され、アキヴァ・ゴールズマンがウォーカーの『Batman vs. Superman』を書き直すために雇われた。 ゴールズマンによる2002年6月21日時点でのドラフトでは、ブルース・ウェインは犯罪との戦いを5年前に辞め、神経衰弱を経験していた。ディック・グレイソン、アルフレッド・ペニーワース、ジェームズ・ゴードンは死亡したが、ブルースの抑うつ感情は婚約者のエリザベス・ミラーによって解消された。一方でクラーク・ケントはロイス・レインと離婚したばかりで苦労していた。クラークとブルースは親しい友人であり、クラークはブルースにとって最高の男であった。だが新婚旅行でエリザベスがジョーカーによって殺害されるとブルースは復讐を企てるようになり、クラークは彼を止めようとした。そしてブルースはエリザベスの死に関してクラークを非難し、二人の友情は崩れて行く。しかし、レックス・ルーサーの魔の手が忍び寄り、二人再び手を組む。 スーパーマン役にはジョシュ・ハートネット、そしてバットマン役には先の『Batman: Year One』でも候補だったクリスチャン・ベールがオファーされていたが断られてしまった。主要撮影は2003年初頭より始まり、約5か月から6カ月かけて行われる予定であった。公開予定日は2004年中頃に計画されていた。ワーナー・ブラザースがゴーサインを出してから1か月もたたないうちに、ペーターゼンが『トロイ』(2004年)を優先させるために『Batman vs. Superman』の企画を去り、ワーナーは『Superman: Flyby』と『バットマン』のリブートを進めることにした。ペーターゼンとブライアン・シンガーは、ベールによるバットマンで、将来、本企画を実現させることに関心を持っている。
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Batman vs. Superman
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「スーパーマンの映画作品」の記事における「Batman vs. Superman」の解説
2002年2月、J・J・エイブラムスが新たな脚本執筆のために雇われた。「スーパーマンの最期」を描く構想は放棄され、スーパーマンの誕生を初めから描き直すリブート企画として再スタートし、『Superman: Flyby』の題で進められた。プロジェクトはゴーサインが出かけたが、新たな監督候補だったマックGが『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』を優先させ、降板した。スタジオは新たな監督としてウォルフガング・ペーターゼンを起用するが、2001年8月、アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーがワーナー・ブラザースに『Batman vs. Superman』と題されたアイデアを持ちかけるとペーターゼンはそちらに興味を示した。エイブラムスの脚本は保留され、アキヴァ・ゴールズマンがウォーカーの草案を書き直すために雇われた。 2002年6月21日時点でのゴールズマンの草案は、ブルース・ウェインが自警活動を辞めてから5年後が舞台であった。ロビンことディック・グレイソン、執事のアルフレッド、ゴードン警部は他界し、ブルースは心を病んでいた。一方、クラーク・ケントもロイス・レインとの離婚で気落ちしていた。ブルースはエリザベス・ミラーと結婚するが、ジョーカーに花嫁を殺され、再びバットスーツを身につけることになる。クラークはブルースを連れ戻そうとするが、ブルースはエリザベスの死の責任はクラークにあると非難し、2人は相反することとなる。しかし、事件の背後にレックス・ルーサーがいたことを知ると、2人は再び手を組むという内容であった。ペーターゼンはヒーロー役の候補としてマット・デイモンを挙げたほか、ジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジェームズ・フランコ、ジュード・ロウ、ポール・ウォーカーが候補として検討された。さらにバットマン役は後にクリストファー・ノーランによる『ダークナイト』三部作で起用されるクリスチャン・ベール、スーパーマン役にはジョシュ・ハートネットが、それぞれオファーされた。 撮影は2003年初頭より5〜6ヶ月かけて行われ、2004年夏に公開予定であった。しかしながらワーナー・ブラザースは、検討の末、1本の映画とするよりはスーパーマンとバットマンを個別のプロジェクトとして進める方が得策と考え、『Batman vs. Superman』の中止を決定した。ペーターゼンは「バットマン対スーパーマンの映画が魅力的なコンセプトだから(ワーナー・ブラザース社長の)アラン・ホルンに引き裂かれた」と語った ペーターゼンは将来的に(ベールのバットマンで)『Batman vs. Superman』を監督することに関心を持っており、またブライアン・シンガーも同様であった。後に映画『アイ・アム・レジェンド』のオープニングで、タイムズスクエアにバットマンのシンボルにスーパーマンのシンボルが入ったバナーが登場する。これは同映画の脚本家のでもあり、また『Batman vs. Superman』の脚本にも参加したアキヴァ・ゴールズマンのジョークである。
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