B20 10
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 00:59 UTC 版)
「国鉄B20形蒸気機関車」の記事における「B20 10」の解説
10号機は1946年に富山市の立山重工業で製造後、新製配置は姫路第一機関区で、その在籍中の1948年1月から7月までは大和鉄道(近鉄田原本線の前身)に貸出されていた。1949年6月に鹿児島機関区に移動した。同機関区在籍末期の1969年7月27日に鹿児島鉄道管理局主催のイベント走行でB20+C55+C12+8620形という編成で本線の営業列車を牽引したことがあるが、通常、本線走行は法規的に不可能であった。幸運にも1970年代初頭まで同区に残り、1972年に梅小路蒸気機関車館に収められた。 当初は動態保存対象機であったが、入館当初数回火が入ったものの、以後はほとんど動くことがないまま1979年(昭和54年)3月31日付で車籍を失い、完全に静態保存となった。 2002年には、梅小路蒸気機関車館の開館30周年記念事業の一環とJR西日本発足15周年を迎えるにあたってのビッグイベントとして、数十人のボランティアの手を借りて動態復元されることとなり、5月から修繕工事を施されて再び自走可能となり、同年10月12日に動態復元完成式が行なわれた。大型機関車揃いの梅小路におけるマスコットとなっている。車籍は無く展示走行用備品扱いであるが、梅小路運転区に在籍するDE10形ディーゼル機関車と共に、火の入っていない蒸気機関車の移動などに用いられており、復活後も本来の役目を担っている。また、時折転車台に乗って汽笛吹鳴ショーを披露するなどしている。 10号機の動態復元は関西のメディアで大々的に取り上げられ、多くのSLファンの注目を浴びた。同館では、蒸気機関車の大きな汽笛音に「子供が泣き出して困る」と言った悩み事も寄せられていたが、B20はきかんしゃトーマスにも似た小柄さから子供たちにも人気があり、「豆タンク」の愛称で親しまれている。 2006年、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定された。
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