A300とA310の自動操縦装置に関する問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:56 UTC 版)
「中華航空140便墜落事故」の記事における「A300とA310の自動操縦装置に関する問題」の解説
A300やA310では自動操縦に関するトラブルが数件報告されていた:183-186。 1985年3月1日、A300-600は自動操縦により降下を行い、機体が設定された4,200フィート (1,300 m)に達したため、自動操縦が降下モードから高度維持モードに切り替わった。しかし、パイロットは、これを自動操縦が解除されたと思い、操縦桿を押し降下を続けようとした。自動操縦は、高度を維持するためトリムを機首上げ位置に動かし、機首は10度近く上がった。パイロットは、推力を絞り機首を下げようとしたが、オートスロットルが推力を増加させたため、機首は24度まで上がった。その後、自動操縦が切り替わったため、機首は下がり、正常な姿勢に戻った。 1989年1月9日、A300B4-203FFがヘルシンキ空港への着陸進入中に、高度860フィート (260 m)で副操縦士が誤って、ゴー・レバーを作動させた。自動操縦が復航モードになり、オートスロットルが推力を上げた。機長は、オートスロットルを解除し、機首下げを行った。自動操縦は解除されたもののTHS(Tail Horizontal Stabilizer/水平安定板)は通常の復航時の4倍近い機首上げ位置に動いており、高度は750フィート (230 m)ほどで機体は水平飛行になった。機長は、復航を決断し、自動操縦を復航モードにし、フラップを15度まで上げたところ35.5度の機首上げが発生し、速度が94ノット (174 km/h)まで低下した。副操縦士の操作により、2,250フィート (690 m)付近から姿勢が回復しはじめ、1,540フィート (470 m)で正常な姿勢に戻った。 1991年2月11日、インターフルーク機(A310-304)がモスクワ空港へ着陸進入していたところ、1,550フィート (470 m)付近で復航モードを起動した。この時、機体重量が軽かったことから上昇率が高くなったため、パイロットは操縦桿を押した。それにより、昇降舵は14度の機首下げ、水平安定板は-12度の機首上げ状態まで動いた。自動操縦は解除されたものの、水平安定板はそのままになったため、機首が88度まで上がり速度は30ノット (56 km/h)まで低下した。4,327フィート (1,319 m)で失速し1,487フィート (453 m)まで降下した。その後も、急上昇し失速、急降下という状態が数回続き、最終的に8,715フィート (2,656 m)で正常な姿勢に戻った。 1988年3月18日に、エアバス社は、復航モードを誤って選択しても15kg以上の力を操縦桿に加えれば解除出来るようフライト・システムを改良し、A300を運用する航空会社にサービスブリテンを出していた。また、新造機についても適用されることになった。しかし、中華航空は緊急の改修ではないと判断し、大幅な修理等を行う際にシステムを改修することに決定した:186-187。
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