7月28-31日 突破および進撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:17 UTC 版)
「コブラ作戦」の記事における「7月28-31日 突破および進撃」の解説
7月28日には、アメリカ軍に対峙するドイツ軍の守備は、第7および第8軍団の進撃圧力の前に広範囲で崩壊しており、抵抗も組織的ではなくバラバラなものとなっていた。初陣であった第8軍団麾下の第4機甲師団(英語版)はクタンスを占領したが、街の東側で強力な敵に遭遇し、ドイツ軍戦線に浸透したアメリカ軍の部隊は、罠にかかることから全力で逃れようとする第2SS装甲師団、第17SS装甲擲弾兵師団、第353歩兵師団による反撃を受けた。ドイツ軍の残兵による絶望的な反撃が第2機甲師団に対して行われたが、大敗北に終わり、ドイツ軍は車両を放棄し徒歩で敗走した。疲弊し意気消沈したバイエルラインは、装甲教導師団が、戦車は全滅、兵士は死傷するか行方不明、司令部は全て失われ、「ついに全滅した」と報告した。 その間、西部戦線(西方総軍(英語版))の全ドイツ軍を指揮するクルーゲは増援をかき集め、第2装甲師団と第116装甲師団が戦場に向かっていた。チャールズ・コーレット(英語版)中将指揮のアメリカ第19軍団は、7月28日から第7軍団の左翼で戦闘参加し、7月28日から31日の間、これら増援との激しい戦闘に巻き込まれていた。7月29日夜、サン=ドニ=ル=ギャ(英語版)近く、クタンスの東で、アメリカ第2機甲師団の一部は、暗闇の中、アメリカ軍の戦線を抜けようとしていた第2SS装甲師団および第17SS装甲擲弾兵師団と命がけで戦った。第2機甲師団の他部隊はカンブリー(Cambry)近くで攻撃を受け6時間戦った。しかし、ブラッドレーと部下の指揮官たちは、自分たちが現在戦場を支配しており、ドイツ軍の捨て身の攻撃はアメリカ軍全体にとって何ら脅威ではないことを理解していた。第116師団の高級参謀であったハインツ・ギュンター・グデーリアン(英語版)大佐は、師団に集結命令を出したが、連合軍の戦闘爆撃機の攻撃により失敗した。約束されていた第2装甲師団からの直接支援がなくては、グデーリアンは、装甲擲弾兵はアメリカ軍への反撃に成功できなかったと述べている。その日以降、海岸沿いに南へ進撃し、第8軍団は、歴史家のアンドリュー・ウィリアムズが「ブルターニュと南ノルマンディへの門」と呼んだアブランシュを占領し、7月31日までに第19軍団が、激しい戦闘の末に兵士と戦車に大損害を与えて、最後のドイツ軍の反撃を撃退した。アメリカ軍の進撃は今や止まることを知らず、ついに第1軍はボカージュから解放された。
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