5人組との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 15:10 UTC 版)
「ベリャーエフ・サークル」の記事における「5人組との比較」の解説
ベリャーエフ・サークルを構成する作曲家たちは、外面的には先立つロシア5人組同様に愛国的に見えた。5人組と同じく彼らは他にないロシア様式のクラシック音楽を信奉しており、それはバラキレフ、ボロディン、リムスキー=コルサコフの音楽の例にみられるように民謡、また異国風の旋律、和声、リズム要素を用いたものであった。一方で5人組とは異なり、サークルの作曲家たちは作曲におけるアカデミックな、西欧の方法論に立脚した知識の必要性も固く信じていた。西洋の作曲技法の必要性はリムスキー=コルサコフがサンクトペテルブルク音楽院在職中、彼らの多くに教え込んだのである。バラキレフが率いた5人組の「革命的な」作曲家たちと比較して、リムスキー=コルサコフはベリャーエフ・サークルの面々が「進歩的で(中略)それに倣って技術的な完璧さに非常な重きを置いているが(中略)新しい路を破壊してしまった。より安全な形であり、速度はより遅いかったとはいうものの」ということを見出している。 グラズノフが国外からの影響に対して取った態度はベリャーエフ・サークルの典型だった。彼はチャイコフスキーの作品を勉強して「新しいもの(中略)我々若い音楽家に指南を与えるものをたくさん発見した。とりわけ抒情的で旋律的な作曲家であるチャイコフスキーが、オペラの要素を交響曲に持ち込んでいることは私にとって衝撃的であった。私は彼の発想の広がり、気質、そして構築の完璧さほどには彼の作品の主題素材を評価していなかった。」リムスキー=コルサコフはベリャーエフ・サークルに属する作曲家の「折衷主義へ向かう傾向」に言及しており、また「チャイコフスキーが『スペードの女王』と『イオランタ』で取り入れた音楽、ウィッグとファージンゲールの時代のイタリア=フランス音楽に対する(中略)偏向」についても特筆していた。 にもかかわらず、ベリャーエフ・サークルはかつてのバラキレフの一派に比べるとある程度外国の影響に寛容であった一方、その5人組の作曲習慣をいまだ忠実になぞっていた。音楽学者のフランシス・マースは次のように記している。「ムソルグスキーの『ボリス』の戴冠式の場面における和声、『ムラダ』と『サトコ』におけるオクタトニック、バラキレフによる民謡の様式化、リムスキー=コルサコフの色彩的な和声処理 - これらはどれもがロシアの愛国的音楽を書くにあたってレシピ集となった。国民的人物を描く際には(中略)描かれる題材以上にこれらの技法が流行していたのである。」
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