5人組とともに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 14:54 UTC 版)
「チャイコフスキーとロシア5人組」の記事における「5人組とともに」の解説
ロシア5人組による紙上での対ルビンシテイン運動が展開される中、チャイコフスキーは自らがほとんど恩師同様に槍玉に挙げられていることに気付く。キュイはチャイコフスキーが卒業制作に作曲したカンタータ『歓喜に寄せる』の演奏評を行って作曲者をこき下ろした。「とことんくだらない。(中略)もし彼に少しばかりでも才能があったのであれば(中略)間違いなく楽曲中のどこかであの音楽院が課した枷が破られていたはずである。」この批評は神経質な作曲者にとっては散々な仕打ちとなった。その後チャイコフスキーとバラキレフが歩み寄りを見せたために窮屈な停戦状態に入り、最終的には残る4人とも交友関係が築かれることになる。バラキレフとチャイコフスキーの協業関係の結果生まれたのが幻想序曲『ロメオとジュリエット』である。5人組はこの作品を受け入れ、さらにチャイコフスキーの次なる作品交響曲第2番「小ロシア」を熱狂的に迎えた。この交響曲にはウクライナ民謡が引用されているのに加え、初版では5人組が彼らの作品で使用したものに類似した作曲技法が複数用いられていたのである。スターソフはシェイクスピアの『テンペスト』を主題とすることをチャイコフスキーへ提案、これによって幻想序曲『テンペスト』が書かれることになった。数年間の空白期間をおいてバラキレフの名前は再びチャイコフスキーの創作生活に現れるようになる。そうして出来上がったのがジョージ・ゴードン・バイロンの劇詩『マンフレッド』を基にスターソフが著しバラキレフが提供した筋書きに沿って作曲されたマンフレッド交響曲である。しかしながら、全体を通してみるとチャイコフスキーは独立した創作の道をたどり続け、愛国主義と伝統主義の音楽家たちの中間に進路を取っていくのである。
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