2004年発行の切手
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2003年夏、韓国郵政は翌年1月16日に「独島の自然」と題する切手を発行することを発表した。9月、日本の総務省は韓国側に対し、「良識ある判断」を求め、切手発行の再考を促す書簡を送ったものの、それ以上の対応はとらず、韓国側の計画や書簡を送った事実も国民に知らせないまま数か月間伏せていた。そのため、2003年中に日本国内でこの問題が報じられたことはほとんどなかった。唯一の例外は、「郵便学」を提唱する内藤陽介によれば、猪瀬直樹(当時、道路関係四公団民営化推進委員会委員)のメールマガジン「日本国の研究(12)」に内藤自身が寄稿した記事程度であったという。国民のほとんどがこの事実を知らない以上、「独島切手」発行中止の世論が生まれるはずもなかった。 2004年1月7日、韓国郵政はインターネット上で新切手のデザインを公表した。日本ではこれに対して議論が沸騰し、マスメディアも大きく報道した。日本の川口順子外務大臣は趙世衡駐日大韓民国大使を召喚して、これに抗議し、尹永寛外交通商部長官(外務大臣に相当)に対しては、電話会談で発行中止を要請した。総務大臣だった麻生太郎も抗議のコメントを発表した。ここに至って日本政府は、抗議の書簡を送った経緯なども含めた事実関係を公表したが、すでに時期を逸していた。 2004年1月16日、韓国郵政事業本部は予定通り「独島の自然」と題された切手4種224万枚を発行した。これに対し、日本は竹島の領有権をもっているという立場を明らかにし、韓国の切手発行が万国郵便連合憲章の精神に背くとして、UPUに回章の措置をとった。 2003年9月時点、ないし前回の竹島切手が発行された2002年8月時点において日本政府がしかるべき対策を講じていたら、2004年の切手発行は防ぐことが可能であったと指摘する声がある。もとより、切手の発行を取りやめたからといって、それだけで韓国側が竹島の不法占拠をやめるわけではないが、韓国政府が「韓国領独島」の存在を国際社会に喧伝するためのチャンネルを1つでもふさぐことができれば、日本外交は失点を1つ免れることができるわけである。竹島問題の責任の一端は日本側にもあると指摘される所以である。
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