20代 ─松原佐久、そして冷泉為恭との出会いとは? わかりやすく解説

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20代 ─松原佐久、そして冷泉為恭との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 05:41 UTC 版)

吉川霊華」の記事における「20代 ─松原佐久、そして冷泉為恭との出会い」の解説

明治28-29年(1895-96年)から、裁判官務め住吉派画人でもあった松原佐久(すけひさ)に有職故実を学ぶ。松原通じて幕末復古大和絵師・冷泉為恭出会って以後深く私淑し、彼らから決定的ともいえる影響を受ける。松原は、冷泉為恭作品見れば必ずこれを模写する人物で、霊はこの模写熱心に学ぶ。松原紹介で、当時大和絵大家として知られていた山名貫義入門日本画家小堀鞆音有職故実家関保之助古画古筆復元模写知られる田中親美官僚でやまと絵も描いた谷森真男らと交際する。彼らから高い評価勝ち取り、彼らが各所で霊紹介したため、一部有識者の間に霊の名が知られるようになっていく。 明治33年1900年大和絵系の日本画家大坪正義高取稚成組織した国風画会明治35年1902年歴史風俗画会、翌年烏合会参加、これらの研究会ではモデル有職故実則った衣装を身につけさせた写生会を開いており、霊はこれを熱心にスケッチしている。若いころ中心とした霊スケッチ帳が諸家分蔵されており、京都国立博物館には霊描いた絵巻模写が百数十所蔵されているという。こうした研究三昧によって、30歳近くなるころにはすでに一家を成すだけの修養積んでいたが、霊には画名求める気はなく、家に資産があったため生活のために絵を描く必要がなかった為、ひたすら好きな絵や学問研究没頭した反面学問深くなったあまりにその束縛強くなり、却って筆を振るえなかったという指摘もある。

※この「20代 ─松原佐久、そして冷泉為恭との出会い」の解説は、「吉川霊華」の解説の一部です。
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