1993年~1997年: 世界規模の成功
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当時彼女はケヴィン・ギルバートと交際を始め、彼の所属する即興音楽グループ「チューズデイ・ミュージック・クラブ」に彼女も参加するようになった。1993年、ビル・ボットレルがプロデュースを手掛けたアルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』(Tuesday Night Music Club)で、ようやくソロ・デビュー。このグループのメンバーのギルバート、デイヴィッド・ベアウォルド、デイヴィッド・リケッツ(2人はデイヴィッド&デイヴィッドを結成していた)、ビル・ボットレル、ブライアン・マクロード、ダン・シュワルツ は彼女のデビュー・アルバム『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』で作曲者名に名を連ねている。 1993年、『ローリング・ストーン』誌の新人部門に登場。『チューズデイ・ナイト・ミュージック・クラブ』の曲は3枚目のシングル「さらばラス・ヴェガス」を含み、ほとんど友人達により書かれたものである。1994年秋に「オール・アイ・ワナ・ドゥ」が予期せぬ大ヒットとなるまでこのアルバムはゆっくりと売り上げを伸ばしていった。後に彼女が『ピープル』誌に語ったところによると、ロサンゼルスの辺りの古本屋で古い詩集を見つけ、曲の歌詞に使ったそうである。シングルカットされた「ストロング・イナフ」はビルボード5位、「キャント・クライ・エニーモア」は同40位となった。このアルバムは、1990年代のアメリカとイギリスで700万枚を超えるセールスを記録。同作収録曲の「オール・アイ・ワナ・ドゥ」は全米ビルボードチャートで最高2位まで上昇する大ヒットとなり、1995年の第37回グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀新人賞、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の3冠を受賞した。1994年と1997年にウッドストック・フェスティバル、1997年にAnother Roadside Attraction に出演。 1995年のドン・ヘンリーのアルバム『アクチュアル・マイルス ドン・ヘンリー・グレイテスト・ヒッツ』の収録曲『ガーデン・オブ・アラー』にバック・ヴォーカルとして参加。1995年に、ソロ初の来日公演を行い、以降プロモーションやシークレット・ライブを目的としたものを含め6回(うちツアーでは3回)来日している。 次いで1996年に自身の名を冠したセカンド・アルバム『シェリル・クロウ』を発表。このアルバムには妊娠中絶、ホームレス、核戦争についての曲が含まれている。このアルバムからの1枚目のシングル『イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー』は主にラジオでも大ヒットを記録し、1997年の第39回グラミー賞で最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞、最優秀ロック・アルバム賞の二部門を受賞した。このアルバムからの他のシングルは『A Change Would Do You Good 』、『Home 』、『エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード』である。彼女は自身でこのアルバムをプロデュースした。このアルバム収録曲『Love Is A Good Thing 』の歌詞で、ウォルマートで子供が簡単に銃を手に入れることができると思わせる歌詞があることからウォルマートでのこのアルバムの販売を禁止した。1997年、映画『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』のテーマ曲に楽曲を提供。彼女の曲『トゥモロー・ネヴァー・ダイ』は第41回グラミー賞最優秀楽曲賞映画、テレビ、その他映像部門、第55回ゴールデングローブ賞歌曲賞にノミネートされた。1998年、スコット・ウェイランドのアルバム『12 Bar Blues 』でコラボレートしている。
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