1985~1995年: ジミー・ソマーヴィル脱退後
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「ブロンスキ・ビート」の記事における「1985~1995年: ジミー・ソマーヴィル脱退後」の解説
1985年11月、新ボーカリストにジョン・フォスターを迎えたブロンスキ・ビートは、『パーフェクト・ビート(英語版)』をリリース、全英3位を筆頭にヨーロッパでヒットを飛ばし、やがてオーストラリアにも波及した。この曲はまた同年の映画『ブレジネフへの手紙(英語版)』で使用され、サウンドトラックアルバムに収録された。続くシングル『カモン、カモン』は全英チャート20位、1986年5月リリースのアルバム『トゥルースデア・ダブルデア(英語版)』は全英チャート18位を記録した。ニューヨークに住むゲイの生活を描いた映画『別れの一瞥(英語版)』のサウンドトラックに、ブロンスキ・ビートのファーストアルバムから『ホワイ?』、『ラヴ&マネー』、『スモールタウン・ボーイ』が採用された。更にバンドはプロデューサーのマーク・カニンガムと組んでスージー・クアトロやキンクスらと共に、BBCのチャリティ番組『チルドレン・イン・ニード(英語版)』のためのシングル作成に参加、デヴィッド・ボウイの『ヒーローズ』をカバーした。このシングルはB面にカニンガムらの手によるオリジナル曲『ア・ロング・ウェイ・トゥ・ゴー』を収録した7インチ盤が、ザ・カウンティ・ライン名義でリリースされた。 1987年、フォスターがバンドを去った。ブロンスキとスタインバチェクは二人だけで次のアルバム『アウト&アバウト』の制作を開始した。レコーディングはブライアン・パグスレーをエンジニアに迎え、ロンドンのベリー・ストリート・スタジオ(英語版)で行われた。ストロベリー・スウィッチブレイドのローズ・マクドール(英語版)をボーカルに迎えた『ピース・アンド・ラブ』を始め、『ファイナル・スピン』、『ヨーロピアン・ボーイ』などの曲が生まれ、新曲を携えたツアーも好評を得た。しかしバンドがロンドンレコードから離脱したため、アルバムは完成することなくプロジェクト中止となった。これらお蔵入りした曲のうち、『ヨーロピアン・ボーイ』は1987年ブロンスキ・ビートプロデュースのもと、イギリスのディスコグループ、スプラッシュが7インチ及び12インチのシングルでリリースした。『ピース・アンド・ラブ』は2006年頃から複数のインターネットサイトに投稿されたほか、現在ではブロンスキのSoundCloudアカウントで聴くことができる。同じく1987年、ブロンスキとスタインバチェクはニュー・オーダーと共に国際エイズデーのためのライブを開催。ロンドンブリクストン・アカデミーの会場で、このイベント限定の復帰を果たしたソマーヴィルとトリオでのライブパフォーマンスを披露した。 1989年、ジョナサン・ヘリヤーをボーカリストに迎えたバンドは、バッキングボーカルにアニー・コンウェイを加えアメリカとヨーロッパを精力的にツアーした。全英32位のヒットとなった『チャ・チャ・ヒールズ』では、俳優兼シンガーのアーサー・キットとのコラボが実現した。この曲は元々同じく俳優兼シンガーのディヴァインに捧げられたが、1988年の急死によりレコーディングは実現しなかった。1990年~1991年に掛けて、マイク・ソーンのプロデュースによりゾンバ・レコードレーベルから3枚のシングル、『アイム・ゴナ・ラン・アウェイ』、『ワン・モア・チャンス』、『ホワット・モア・キャン・アイ・セイ』がリリースされた。 1993年フォスターがバンドに復帰し、テクノチューンの『ホワイ???』と対照的なアコースティックバージョンの『スモールタウン・ボーイ'94』が、ドイツのZYXミュージック(英語版)レーベルからリリースされた。翌年リリースされたアルバム『レインボー・ネイション』にフォスターは参加せずヘリヤーが復帰した。このアルバムにはまたキーボード及びプログラミング担当としてイアン・ドナルドソンが参加した。 しばらくツアーを続けた後1995年、ブロンスキ・ビートは解散し各々の道に進んだ。スティーブ・ブロンスキはプロデューサー稼業に勤しみ、イアン・ドナルドソンはSordid Soundz名義でDJとして成功を収めた。ラリー・スタインバチェクは、マイケル・ラウブ(英語版)の劇団「リモート・コントロール・プロダクションズ」の音楽監督に就任した。 ゲイの高校生の成長を描いた1998年の映画『エッジ・オブ・セブンティーン』で、『スモールタウン・ボーイ』と『ホワイ?』が使用された。1984年が舞台のこの映画では曲がサウンドトラックとして使用されただけでなく、ゲイに目覚めつつあった主人公が人目を忍んで『エイジ・オブ・コンセント』を購入したり、自室でこっそり『ホワイ?』を聞いているところに母親が突然現れ、慌てて見入っていた歌詞カードを隠すシーンなど、映像としてもブロンスキ・ビートの作品が登場した。
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