1983年知事選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 23:36 UTC 版)
「マーサ・レイン・コリンズ」の記事における「1983年知事選挙」の解説
コリンズは副知事の任期が終わり近くなると、1983年の州知事選挙に出馬する意向を表明した。民主党予備選挙での対抗馬は、ルイビル市長のハーベイ・スローンと、元州人的資源省長官だったグラディ・スタンボだった。コリンズは民主党指導者の多くから支持を得たが、予備選挙の直前に、ブラウン知事はスタンボの肩を持ち、スローンもコリンズも党の互恵関係を行使するために知事の指名権限を使うことになると告発した。これは当時は普通の習慣だったが、ブラウンはその任期中にそれをはっきりと回避するようにしていた。予備選挙でコリンズは223,692 票を確保し、スローンの219,160 票、スタンボの199,795票を押さえて指名を得た。スローンは票の数え直しを要求したが結局結果が変わらないこととなり、敗北を認めた。 本選挙で、コリンズは共和党州上院議員で後にアメリカ野球殿堂入りした元投手のジム・バニングと対戦した。女性のための全米機構、全米女性の選挙資金、女性の政治集会は全てコリンズの支持を拒否し、コリンズが平等権修正条項をいい加減に支持していること、強姦、近親相姦、あるいは母体が危険な場合を除いて人工中絶に反対していることを引き合いに出した。バニングは選挙遊説で特に好感が持たれたわけでもなく、伝統的に民主党が優勢な州で、自分に有利な問題を見つけるのが難しかった。バニングがカトリック教徒であることも政治的には難しかった。投票の結果は561,674 票対 454,650 票でコリンズが勝利し、ケンタッキー州知事に初めて選ばれた女性となり、2014年まで唯一の女性となっている。 コリンズは当選後、その選挙資金金庫から242,000ドルを州民主党に寄付した。コリンズの夫が年収59,900ドルの民主党州財務官に指名されたとき、州内の新聞がこの人事はコリンズの選挙資金を個人口座に組み入れる策略だと告発した。それ以前の民主党州財務官はその任期中も無給だった。このマスコミの批判に続いて、コリンズ博士は財務官の職を辞した。これに関わった者の全てがコリンズ知事は夫の指名の詳細を説明されていなかったと主張した。彼女の閣僚に指名した者の多くが経験の足りない人物であり、その選挙で重要な役割を果たして来た者だったので、マスコミのコリンズ批判が続くことになった。新任の保険コミッショナー、ギルバート・マカーティはブルークロス・ブルーシールドから要請された17%の増加を承認した。その要請はマカーティの前任者が数日前に否定したことだった。コリンズは直ぐにこの承認を撤回し、公聴会に掛けることとした。
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