1983年当時の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 18:24 UTC 版)
「TTサーキット・アッセン」の記事における「1983年当時の特徴」の解説
片山敬済は当時のアッセンについて次のように語っている。「アッセンは世界中のサーキットの中で、最も疲れやすい。休む暇なく、高速で、マシンをこじくりまわして走るからだ。どんなに体調がよくても、しんどくなってくる」(片山敬済) 公道を使用している部分は、サイドカー・クラスのプラクティス終了後に、レース用にコースを横切るラインを刷毛塗りしたり、スリップ防止のためにセンターラインの白線を焼け消したりした。 当時はパドックの背後に池があり、プラクティス時に2匹のアヒルがこの池から出てきて、コース上を横切った。そのため、オーガナイザーはこのアヒルたちを別に池に移すという、珍事があった。 各コーナーは蒲鉾形をしていた。バンクも多かったが、縁石はほとんどなく、白線が引かれているだけなので、アウト側にはらむとすぐにグリーンになってしまい、ライダーたちは神経を磨り減らしてコーナーをクリアーしていかなければならなかった。
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