1960年竣工の校舎
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「滋賀県立膳所高等学校」の記事における「1960年竣工の校舎」の解説
明治年間の木造の校舎や戦時中に建設された校舎は県下最悪と称されるほど老朽化が進んだ状態であった。戦時中の手抜き工事だとされる別館と呼ばれる一棟は特に老朽化が著しかった。また、500人の収容を見込んだ校舎に1500人の生徒を詰め込んだ状態であり、学校機能として不全の状態であった。 1954年(昭和29年)3月に滋賀県知事であった服部岩吉が会長として「膳所高等学校校舎新築期成会」が設立された。期成会は幾度と県会や県当局に校舎新築を積極的に要望し、同窓会などに寄付を求め、遂に県会は期成会の陳情から1年を経た1957年(昭和32年)に校舎の改築を認めた。 1955年(昭和30年)12月に国庫補助金の交付を受け、講堂・体育館をあわせた建築物の工事をはじめ、1956年(昭和31年)5月に竣工した。これに引き続き、1957年(昭和32年)夏に市内の伊藤組が工事を請け負い校舎の建設が始まった。東側の地盤が弱いため地下室を新設するよう変更するなど工事の設計変更が行われたが、予想外の工費増額によって当初予定より寄付金を募らなければならない問題が生じた。このため、入学時や在学時に徴収するなどして増額分を補った。 1960年(昭和35年)7月に3階建ての校舎2棟と図書館を持つ校舎が完成した。校舎総面積は体育館を含め2857坪、総工費1億5113万円であった。
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