1950年代から現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/10 03:11 UTC 版)
「アイダホ州の歴史」の記事における「1950年代から現代」の解説
州北部ではさらに数十年間鉱業が重要な産業であり続けた。1980年代初期にショショーニ郡のバンカーヒル・ミル複合施設が閉鎖し、地域の経済を深刻な沈滞状態に追いやった。そのとき以来、アイダホ州北部での観光産業の実質的な隆盛で地域を快復に向かわせた。湖の側のリゾートタウン、コー・ダリーンは地域の観光客の目的地になっている。 1980年代から北アイダホでは極右勢力や生存主義者政治集団が勢力を伸ばしており、特に顕著なものはネオナチの見解を持っているアーリア民族軍だった。これらの集団は州のパンハンドル地域、特にコー・ダリーンの近辺に集中していた。アイダホ州は政治的には保守的だが、その住民の大半はそのようなイデオロギーを拒絶している。 1992年、アイダホ州北部の小さな町ネイプルズに近いルビーリッジで、連邦保安官、FBIと白人分離主義者でアーリア民族軍に参加していたランディ・ウィーバーとその家族の間に、紛争が起こった。銃撃戦と連邦保安官の死に続いて、ウィーバーの息子と妻が国民の注目を集め、そのような状況で連邦制が権力を行使することについてかなりの量の議論を呼んだ。 2001年、ハイデン湖に位置していたアーリア民族軍施設が裁判の結果差し押さえられ、組織はアイダホ州から出て行った。同じ頃、ボイシ市はアンネ・フランクの銅像を飾り、彼女やその他多くの著作家の人間の自由や平等を称える印象的な石造人権記念碑を建立した。最近の世論調査では、アイダホの市民は異なった文化や民族性の人々を受け入れる傾向にある。
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