1950年代とエベレスト登頂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 22:18 UTC 版)
「登山における最高到達高度の記録」の記事における「1950年代とエベレスト登頂」の解説
第二次世界大戦の後、ヒマラヤの政治的状況は大きく変わった。中華人民共和国が成立しチベットを併合。一方で鎖国により閉ざされていたネパール王国が国境を開いた。これにより西側の登山家にとっては、エベレストに登る戦前のルートが閉ざされることになったが、エベレストの南側を含むネパールの山に初めてアクセスが可能になった。エベレストの前にさらなる登頂記録が更新された。フランスのモーリス・エルゾーグとルイ・ラシュナルは1950年6月3日にアンナプルナ(8,091メートル)に登頂し、初めて8,000メートルを越える山を制覇した。この登頂は、凍傷で2人の手足の指を30本切断するという犠牲を払うことになった。 初めて南側からエベレストに挑戦したのは1952年のスイス隊だった。レイモン・ランベールとシェルパのテンジン・ノルゲイは5月26日に約8,600メートルまで登り、これまでの到達高度を更新した。スイス隊はこの年の秋にも挑んだが、春のランベールとテンジンの高度を越えることはできなかった。翌年1953年の登山許可はイギリスが取得した。5月26日にチャールズ・エヴァンスとトム・ボーディロンは8,750メートルの南峰まで到達。しかし酸素ボンベの不調により引き返した。5月29日、ついにエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが南峰を越え、エベレスト初登頂を果たした。
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