1950年代から1990年代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:59 UTC 版)
「セリエA (サッカー)」の記事における「1950年代から1990年代まで」の解説
1950年代から1990年代前半までセリエAでは「三階建て」構造と呼ばれる、ユヴェントス、ミラン、インテルのビッグ3に加え、ジェノア、ローマ、フィオレンティーナ、ラツィオ、ナポリ、サンプドリア、トリノ、ボローニャなどの中堅クラブ、次いでプロヴィンチャ(小さい地方都市のクラブという意味)という構図が基本的だった。「三階建て」構造では、プロヴィンチャは主力選手をビッグクラブに放出して得た移籍金でクラブを運営し、ビッグクラブはプロヴィンチャの主力選手を補強して戦力を上げていた。また、ビッグクラブでは余剰戦力をプロヴィンチャに放出することで無駄な人件費を削減、プロヴィンチャは有力選手を獲得して戦力を維持できるといった恩恵があった。イタリアの地域事情や歴史的背景から、ユヴェントスやミラン、インテルは北部のプロヴィンチャと結びつきが強く、ローマやラツィオは中南部のプロヴィンチャとの結びつきが強かった。また、北部のクラブと中南部のクラブ同士での選手の移籍も活発に行われており、「三階建て」構造によって、セリエAは成り立っていたとも言える。ただし、フィオレンティーナに関しては北部・中南部のクラブ共に結びつきが強いが、ユヴェントスへの移籍は「禁断の移籍」と呼ばれており、両クラブ間で移籍をした選手は、サポーターからのブーイングが飛ぶことが恒例となっている。かつてロベルト・バッジョがフィオレンティーナからユヴェントスへ移籍した際には、フィレンツェで暴徒と化したサポーターが街に溢れ、暴動にまで発展した[要出典]。
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