19球目についてのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 22:19 UTC 版)
「江夏の21球」の記事における「19球目についてのエピソード」の解説
江夏は、石渡に投じた19球目のカーブについて自著の中で、「あの球は水沼じゃなきゃ捕れなかった」と語っている。 豊田泰光は、左投手の江夏からは三塁走者は見えないはずなので、とっさに外したというより偶然外れたのではないかと考えていたようで、石渡の引退後、豊田が「あれはすっぽ抜けではなかったのかなあ」というと、石渡が「そう思いますか?トヨさんも」と涙を流さんばかりにしていたと新聞のコラムに寄稿している。結果的にスクイズは失敗して近鉄は敗れたが、しかしスクイズを「外された」のか、偶然「外れたのか」のかは敗者にとって違いは大きいとしている。豊田は続けて、1959年の天覧試合で長嶋茂雄に打たれたサヨナラ本塁打をあくまでも「ファウル」と主張する村山実と石渡とを重ね合わせて述懐している。 逆に伊東勤は、西武時代に同じようなスクイズを仕掛けられた場面で、江夏が同じく瞬時に高めに投球コースを変えた経験から、この場面も江夏の意思で外したという確信を持っている。 捕手を務めた水沼は、江夏とスクイズの打ち合わせはしておらず(水沼は「もしタイムを取ったら、近鉄ベンチがスクイズのサインを出さないかも知れない」と考え、敢えて動かなかったと語っている)、三塁走者の藤瀬の姿が視界を動いたために咄嗟に身体が反応して立ち上がったものだったという。水沼は、カーブの握りでウエストボールは江夏にしか投げられないだろうと語り、並の投手であれば捕手が急に立ち上がったら驚いて暴投やワンバウンドになっていただろうとしている。また、江夏同様に水沼もスクイズを確信していたこと、藤瀬のスタートがあまりにも良かったために水沼が反応できたという要素もあった(藤瀬にしてみれば満塁のフォースプレイであるために早くスタートせざるを得ない状況でもあった)。 この19球目については、スポーツライターの工藤健策の著書において「広島ベンチが近鉄のサインを盗んでいたため、水沼は最初からスクイズだとわかっていた」という説が提唱されている。 しかし、山際の著書で藤瀬、NHK特集で石渡がいずれも「18球目の後にベンチからスクイズのサインが出た」と証言し、当の水沼自身も1球ごとに近鉄ベンチや石渡の様子を見てはいたが、スクイズのサインが出ていることには全く気付いておらず、また水沼は石渡がスクイズをやること自体は同じ大学の先輩・後輩で寮でも同室という関係で互いを熟知しているために見抜いてはいたが、「どのタイミングでスクイズをやるか」までは見抜けず、藤瀬がスタートを切った時に「『やばい、来た!!』と思った」と著書で語っている。また山際の著書において「変化球でウエストするなどありえない」とする工藤の主張とは矛盾する石渡の証言が紹介されている上、伊東以外にも江夏は咄嗟の判断で投げるコースを変えることができるとする証言がある。阪神時代の江夏とチームメートだった安藤統男は、対巨人戦で江夏が長嶋茂雄の打席で瞬時にコースを変更した投球を目の当たりにした経験から、このスクイズ外しは意図的にやったものだと語っている。
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