1744年および1837年の創設
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「レスター伯」の記事における「1744年および1837年の創設」の解説
クック家は、1613年から1616年まで首席裁判官をつとめた有名な裁判官で政治家のサー・エドワード・クックの子孫である。彼の子孫のトマス・クックは地主で政治家、芸術のパトロンであった。1728年、彼はグレートブリテン貴族としてオックスフォード州ミンスター・ロヴェルのラヴェル男爵となり、1744年にはグレートブリテン貴族のノーフォーク州ホーカムのクック子爵、そしてレスター伯となった。クックはノーフォークにホウカム・ホールの建設を始めた。また、19代クリフォード男爵マーガレット・タフトン(1700年 - 1775年)と結婚したが、唯一の子であったクック子爵エドワードが両親に先立って嗣子なく死去した。そのため、レスター伯位は1759年の伯爵の死により空位となり、クリフォード男爵位は1775年のマーガレットの死去により空位となった。 クック家の所領は最後の伯爵の甥であるウェンマン・クックに継承された。ウェンマンはフィリップ・ロバーツとレスター伯の姉妹アンとの息子であったが、父方のロバーツ姓をすててクック姓を引き継いだ。彼の息子であるトマス・クックは政治家で著名な農学者であった。「ノーフォークのクック」として知られ、長年議員をつとめたが、農業発展への貢献で知られており、イギリス農業革命を推進した人物の一人であった。1837年、彼の大伯父の爵位が復活し、連合王国貴族としてのクック子爵およびレスター伯となった。一方、この時点では1784年に創設されたタウンゼンド家のグレートブリテン貴族としてのレスター伯位は存続している。レスター伯位はトマスの二度目の結婚から生まれた長男が継承した。彼は60年間ノーフォーク総督をつとめ、1873年にガーター騎士に叙任された。 1909年の彼の死後、伯位は長男が継承した。彼はスコッツガーズ第二大隊の大佐となり、ノーフォーク総督もつとめた。彼の後は長男が4代伯として継承したが、彼もまたノーフォーク総督をつとめた。彼の息子5代伯はジョージ6世とエリザベス2世の侍従をつとめた。5代伯は男子なく死去し、3代伯の次男アーサー・ジョージ・クックの息子が6代伯となった。彼の後は長男が7代伯として継承し、現在は7代伯の長男が2015年に8代伯となっている。 邸宅はホーカム・ホールであり、ノーフォークのウェルズ・ネスクト・ザ・シーの近くにある。
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