17世紀〜18世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:00 UTC 版)
市民階級の台頭を背景にグローティウス、ロック、ルソーなどにより生成発展された近代自然法論はのちの人権宣言の形成に重要な役割を果たすこととなった。例えばロックは生命、自由及び財産に対する権利を天賦の人権として主張するとともに、信教の自由についても国家は寛容であるべきことを主張している。 「天賦の権利」について実定化した最初の人権宣言は1776年のバージニア権利章典である。アメリカ植民地の人々は印紙法に対する反対闘争以来、権利請願や権利章典などを援用することで自らの権利を主張しイギリス本国の圧制に抗していたが、アメリカ独立戦争に突入すると「イギリス人の権利」から進んで自然法思想に基づく天賦の人権を主張するに至った。 バージニア権利章典第1条 人は生まれながらにして自由かつ独立であり、一定の生来の権利を有する。これらの権利は、人民が社会状態に入るにあたり、いかなる契約によっても、人民の子孫から奪うことのできないものである。かかる権利とは、財産を取得・所有し、幸福と安全とを追求する手段を伴って生命と自由を享受する権利である。 アメリカで結実した自然法思想はフランスの人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言、1789年)を生み出す原動力となった。フランス人権宣言では人は生まれながらにして自由かつ平等であることを前提に、人身の自由、言論・出版の自由、財産権、抵抗権などの権利を列挙するとともに、同時に国民主権や権力分立の原則を不可分の原理と定めている。人権思想はフランス革命の進行とともにいっそう高まり、1793年憲法では抵抗権の規定が不可欠の義務にまで高められたが、財産権については公共の必要性と正当な事前補償があれば制限し得る相対的なものとなった(ただし、1793年憲法は施行されることはなかった)。
※この「17世紀〜18世紀」の解説は、「人権」の解説の一部です。
「17世紀〜18世紀」を含む「人権」の記事については、「人権」の概要を参照ください。
- 17世紀〜18世紀のページへのリンク