13-14世紀の橋と門楼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 05:43 UTC 版)
「モノウ橋」の記事における「13-14世紀の橋と門楼」の解説
現在の橋は13世紀後半に完成した。一般に1272年とされているが、文献的な裏づけはない。この石橋は、それ以前の木造橋を架け替えたものである。1988年に行なわれた洪水対策の際、現在の橋の真下に木造橋の遺構が見つかり、年輪年代学的分析を行なった結果、その木材は西暦1123年から1169年の間に切り出されたものだと分かった。いくつかの文献によると、橋と近くのサン・トマス・ザ・マーター教会(英語版)は、ヘンリー3世の一派とペンブルック伯リチャード・マーシャル(英語版)の軍勢が争った1233年のモンマスの戦い(英語版)の戦火で被災している。 この石橋は旧赤色砂岩で造られており、3本のアーチが乗る六角形の橋脚は鋭角の水よけを形作っている。モノウ・ゲートと呼ばれる門楼は、特徴的かつ注目に値する外観をモノウ橋にもたらすものであり、13世紀末あるいは14世紀初め、橋そのものが作られた2-3年後に付け加えられた。1297年、エドワード1世は、甥のランカスター伯ヘンリーの求めに応じて、モンマスのために城壁税(英語版)を定めた。これにより市民は防御のための市壁 (town walls) と門の造営にとりかかることができた。1315年6月1日にこの税は更新・延長されているため、その時点でまだ工事は未完了もしくは補修が必要な状態であった。当時の橋は今よりずっと細く、通行者はみな吊るし門(英語版)[要リンク修正](今も門の上げ下げの溝が残っている)とアーチをくぐって通っていた。よく目立つアーチ型の出し狭間が、中世のいずれかの時点(おそらくは14世紀後半)に付け加えられた。 地元の歴史家キース・キサックによると、門楼は防御力という点で役に立つものではなかった。というのも、モノウ川はすぐ上流で徒歩で渡河できてしまうからだ。とはいえ、町にいるアングロ=ノルマン人(英語版)[要リンク修正]たちが周囲のウェールズ人の攻撃から身を守る役には立ったし、市場に出向く人々から通行税を徴収するための障壁としても機能した。通行税は、1297年と1315年の勅許状文書 (Patent Rolls) および後年の町の勅許状 (town charters) で公に認められた。
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