黙阿弥との出会いとは? わかりやすく解説

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黙阿弥との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 09:27 UTC 版)

市川小團次 (4代目)」の記事における「黙阿弥との出会い」の解説

1854年安政元年3月江戸 河原崎座の『都鳥廓白浪』(忍の惣太)で小團次は二代目河竹新七河竹黙阿弥)と出会う以降、小團次・新七の提携による一連の演目創作されてゆく。 主なものに 『蔦紅葉宇都谷峠』(文弥殺し) の 文弥・仁三 1856年安政3年9月市村座鼠小紋東君新形』(鼠小僧) の 稲葉幸蔵 1857年安政4年1月市村座網模様灯篭菊桐』(小猿七之助) の 小猿七之助 1857年安政4年7月市村座小袖曾我薊色縫』(十六夜清心) の 清心のち鬼薊清吉 1859年安政6年1月市村座三人吉三廓初買』(三人吉三) の 和尚吉三文里 1860年安政7年1月市村座加賀見山再岩藤』(骨寄せの岩藤)の 岩藤鳥居又助 1860年安政7年3月市村座勧善懲悪覗機関』(村井長庵) の 村井長庵久八 1862年文久2年8月守田座曾我綉侠御所染』(御所の五郎蔵)の 五郎百合の方 1864年文久4年2月市村座 などがある。 これらの作品には、当時騒然とした世相反映して白浪物が特に多い。小團次は盗賊次から次へつとめたことから「白浪役者」、果ては泥棒小團次」などとあだ名されたほどだった。しかしそうした盗賊大泥棒でなく、市井片隅生きる人間くさい盗賊だった。研究熱心な小團次はさまざまな工夫凝らし名もない人々喜怒哀楽を心迫の演技つとめた。彼が愁嘆場熱演のあまり泣出す観客までももらい泣きをするほどだったという。黙阿弥はそんな小團次の柄に合うように優れた作品作ったまた、旧作では『勧進帳』の富樫や『敵討天下茶屋聚』の弥助・元右衛門、『義経千本櫻吉野山』の狐忠信、『絵本太功記』の光秀、『菅原伝授手習鑑寺子屋』の松王丸などを得意とし、『伊達娘恋緋鹿子櫓のお七)』では娘役八百屋お七人形振り演じ、その可憐さに観客驚嘆させた。 舞踊技能早替り宙乗りなどのケレンとどまらず立役老役女形敵役どどんな役でもこなす演技力をつけていた。当時流行歌には「にがほは豊国、やくしやは小團次 ハイヨ とうじさくしやは みなさん川竹、ひいきはたいそ、たいそ」とあり、役者絵三代目歌川豊国作家黙阿弥役者の小團次は、江戸っ子人気集めた時の御三家存在だったことが伺われる。 後進の指導にも熱心で、九代目市川團十郎五代目尾上菊五郎七代目市川團蔵など明治名優多かれ少なかれ小團次の影響受けているといって差し支えない

※この「黙阿弥との出会い」の解説は、「市川小團次 (4代目)」の解説の一部です。
「黙阿弥との出会い」を含む「市川小團次 (4代目)」の記事については、「市川小團次 (4代目)」の概要を参照ください。

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