黒田長礼による天然記念物調査報告とは? わかりやすく解説

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黒田長礼による天然記念物調査報告

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:05 UTC 版)

浄ノ池特有魚類生息地」の記事における「黒田長礼による天然記念物調査報告」の解説

[全画面表示] 伊豆伊東に珍しい棲む池があることが知られ始めると、これを学術的に調査し価値のあるものなら天然記念物指定し保護対象とするべきではないか生物学者らが考え始めた日本における天然記念物制度1919年大正8年)に制定され史蹟名勝天然紀念物保存法により発足し日本各地点在する生物植物地質鉱物等が調査され始めていた。指定制度発足当時天然記念物指定管理する省庁内務省であり、内務省より依頼受けた複数学者日本各地巡り調査行っていた。その一環として浄の池の異調査が行われることとなった調査が行われたのは指定制度発足からわずか2年後1921年大正10年)であり、調査時期の最も早い天然記念物指定候補対象のひとつであった天然記念物候補として浄の池調査行ったのは鳥類学者貴族院議員侯爵でもあった黒田長礼旧字表記黑田長禮)である。鳥類学研究知られる黒田は、魚類に関する研究論文複数あり、特に駿河湾での魚類調査論文多数発表している。また同時期に長崎県対馬における哺乳動物に関する天然記念物調査報告黒田担当し作成している。 黒田による浄の池調査期間正確な日時は明らかではないが、調査報告書表紙記され日付1921年大正10年6月であり、報告書中にある水温試験日付3月27日であることから、同年上半期調査が行われたものと考えられる。なお、当時伊豆半島東岸交通事情悪く小田原から熱海までの陸路交通機関熱海鉄道による蒸気機関車牽引軽便鉄道のみであり、熱海から南の伊東方面鉄道敷設されていなかった。黒田どのような経路手段によって伊東訪れたのかは明らかでない内務省による史蹟名勝天然紀念物調査会考査員として伊東訪れた黒田は、伊東町在住次の5氏に協力仰いでいる。 鈴木藤左衛門 伊東町町長 勝呂廣吉 伊東町小学校校長 稲葉廣一 伊東町書記 石黒學音 浄円寺住職 千葉殉事 浄の池類似した生態系をもつ唐人川沿いの別候補の池の所有者 黒田調査報告書末尾で以上の5名に対し深謝の意を表している。 こうして作成された、『史蹟名勝天然紀念物調査報告』第26号「静岡県伊東町浄の池」ノ魚類ニ関スルモノ」が準拠となり、浄の池天然記念物指定されることとなった

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