黒田長礼による天然記念物調査報告
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「浄ノ池特有魚類生息地」の記事における「黒田長礼による天然記念物調査報告」の解説
[全画面表示] 伊豆伊東に珍しい魚の棲む池があることが知られ始めると、これを学術的に調査し、価値のあるものならば天然記念物に指定し保護対象とするべきではないかと生物学者らが考え始めた。日本における天然記念物制度は1919年(大正8年)に制定された史蹟名勝天然紀念物保存法により発足し、日本各地に点在する生物、植物、地質鉱物等が調査され始めていた。指定制度発足当時の天然記念物を指定管理する省庁は内務省であり、内務省より依頼を受けた複数の学者が日本各地を巡り調査を行っていた。その一環として浄の池の異魚も調査が行われることとなった。調査が行われたのは指定制度発足からわずか2年後の1921年(大正10年)であり、調査時期の最も早い天然記念物指定候補対象のひとつであった。 天然記念物の候補として浄の池の調査を行ったのは鳥類学者で貴族院議員、侯爵でもあった黒田長礼(旧字表記は黑田長禮)である。鳥類学研究で知られる黒田は、魚類に関する研究論文も複数あり、特に駿河湾での魚類調査論文を多数発表している。また同時期には長崎県対馬における哺乳動物に関する天然記念物調査報告も黒田が担当し作成している。 黒田による浄の池異魚調査期間の正確な日時は明らかではないが、調査報告書の表紙に記された日付は1921年(大正10年)6月であり、報告書中にある水温試験の日付が3月27日であることから、同年上半期に調査が行われたものと考えられる。なお、当時の伊豆半島東岸は交通事情が悪く、小田原から熱海までの陸路交通機関は熱海鉄道による蒸気機関車牽引の軽便鉄道のみであり、熱海から南の伊東方面に鉄道は敷設されていなかった。黒田がどのような経路、手段によって伊東を訪れたのかは明らかでない。 内務省による史蹟名勝天然紀念物調査会考査員として伊東を訪れた黒田は、伊東町在住の次の5氏に協力を仰いでいる。 鈴木藤左衛門 伊東町町長 勝呂廣吉 伊東町小学校校長 稲葉廣一 伊東町書記 石黒學音 浄円寺住職 千葉殉事 浄の池に類似した生態系をもつ唐人川沿いの別候補の池の所有者 黒田は調査報告書の末尾で以上の5名に対し深謝の意を表している。 こうして作成された、『史蹟名勝天然紀念物調査報告』第26号「静岡県伊東町「浄の池」ノ魚類ニ関スルモノ」が準拠となり、浄の池は天然記念物に指定されることとなった。
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