黄金ヶ浜海水浴場と街並み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:14 UTC 版)
「上田浦駅」の記事における「黄金ヶ浜海水浴場と街並み」の解説
当駅の海側民家のすぐ裏手には黄金ヶ浜海水浴場があり、ホームや跨線橋からも眺めることができる。海岸から見える夕陽が黄金色に見えることが「黄金ヶ浜」の由来である。 かつて当駅は隣駅の肥後二見駅近くの二見海水浴場と共に熊本県内有数の避暑地として知られ、1960年代から1970年代前半をピークに1980年代中頃までは夏季になると大勢の一般の海水浴客や臨海学校の児童生徒が訪れて賑わっていた。特に当駅の黄金ヶ浜海水浴場は駅の目の前が海水浴場で波や潮の流れも年間を通じて非常に穏やかだったことから多くの海水浴客に親しまれ、ピーク時は前述のように優等列車が臨時停車したり当駅止まりの臨時列車が設定されるほどの混雑ぶりで、周辺には海水浴客のために多数の民宿や商店、食堂が軒を連ねていて大変賑やかであった。駅近くにあった田浦町立井牟田小学校の児童たちも夏季はプールの代わりに海水浴場を使用して授業していた。その名残で現在でも海岸の中に数本のコンクリート製の監視台や飛び込み台が残っている。 しかし 海水浴場自体や砂浜が規模が小さく手狭だったこと 道路交通網の整備が進み自動車やバスが広く普及して鉄道以外の移動手段が向上したこと 黄金ヶ浜海水浴場が前述の理由で自動車で行きにくく団体バスの乗り入れも事実上不可能だったこと 近隣に御立岬公園海水浴場、芦北マリンパークビーチなど他の大規模な海水浴場の開発や整備が進められたこと 観光レジャーの多様化により海水浴客自体が減少したこと 水俣病発生による海洋汚染や風評被害の影響が強かったこと などの理由により次第に客足が遠のき始め、1980年代末期には当駅を訪れる海水浴客が著しく低迷していた。さらに井牟田地区で深刻な過疎化が進み、井牟田小学校も1996年4月1日をもって近隣の田浦町(現:芦北町)立田浦小学校に統合される形で廃校になり、2000年代に入ると海水浴場の利用者はほとんどいなくなった。現在は民宿や海の家などの海水浴客向けの商業施設は全て廃業しており周辺は閑散としている。今でも海水浴場自体は廃止されてはいないが、砂浜は長年整備されておらず、かつての賑わいと面影は残っていない。 当路線が国鉄だった頃は駅近くに国鉄指定保養所「黄金荘」が建てられ、多くの国鉄職員やその家族連れも海水浴のために当地を訪れていた。しかし1987年4月1日の国鉄の分割民営化で「黄金荘」は廃止され、その後取り壊されて現存しない。 民宿や商店(海の家、食堂など)を改装してそのまま一般民家にした建物が多く、駅前の街並みに民宿街だった当時の面影を残している。
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