黄金メンバーの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 05:34 UTC 版)
「ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ」の記事における「黄金メンバーの時代」の解説
キッド以外のメンバー(カッティーニ、キャディ、ブライアン・グレッグ)はここでグループを離れ、ジョー・ミークのトルネードスに移って行った。キッドはビッグバンドを従えたソロ・シングル「ハリー・オン・バック・トゥ・ラヴ」"Hurry On Back To Love"をリリース。メンバーは去ってしまったが、ブルージーなこの曲の出来栄えにキッドは手応えを感じる。 新メンバーが集められ、ジョニー・スペンス (Johnny Spence:Bass)、フランク・ファーレイ (Frank Farley:Ds)、ジョニー・パット (Johnny Patto:G) が新たにメンバーとなったが、パットはほどなく脱退。ミック・グリーンが加入し、ここにパイレーツ史上最強のラインナップがそろった。新ラインナップのファースト・シングルは「ア・ショット・オブ・リズム・アンド・ブルース」(A Shot Of Rhythm And Blues) 。しかし1962年終盤に何とかヒットチャートの下位にねじ込めた程度だった。 時間を経て彼らのステージは充実していき、非常に視覚効果の高いステージングが確立された。巨大なガレオン船を描いたバックに、19世紀の海賊のコスチュームで短剣を提げたキッドはステージを縦横無尽に暴れまわり、クラブの木製のステージは修繕のための保険の支払いを拒まれるほどに傷めつけられた。ドイツへのツアーによりグループのサウンドはさらに強化された。 1963年夏には、ビートグループ・ブームに乗り「アイル・ネヴァー・ゲット・オーヴァー・ユー」(I'll Never Get Over You) をヒットチャートの4位に送り込む。続けてレコーディングした「ハングリー・フォー・ラヴ」(Hungry For Love) もトップ20に食い込んだ。
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