鶴牧・落合地区のオープンスペース計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:08 UTC 版)
「多摩ニュータウン」の記事における「鶴牧・落合地区のオープンスペース計画」の解説
多摩ニュータウンではオイルショック以降の方針転換で30%以上のオープンスペース(公園緑地等)を確保することとして整備が進んでいた。しかし、このように確保された多くのオープンスペースが中高層住宅に埋もれてしまい、認知されにくいと指摘されていた。そのため、鶴牧・落合地区の整備にあたっては計画が見直され、いまあるような街並みが整備されることになった。 そこで鶴牧・落合地区では、オープンスペースを街の骨格構造にしてしまおうという発想のもとに設計された。一般的に街の骨格構造は道路ネットワークを中心に認知されるため、新たな試みとして、建物は全く描かず、公園と歩行者専用道路のみが描かれた図面が作られた。従来「皆が平等に公益を受ける」という考え方から公園はまんべんなく散りばめられていたが、その考え方を逸脱せずにどのように骨格構造となるような空間を作り出すか様々な検討が行われ、4つの近隣公園をリング状に連続的に配列し「基幹空間」が作り出された。 基幹空間の外環にあるのが「基幹空間系」を補完する「リング系」で、歩行者専用道路や街区公園で形成され、多摩ニュータウンにおける「みち空間」の組織化を図っている。さらにその外側の「外周系」は3系統あり、東側は地区東端から多摩中央公園・遺跡公園(東京都埋蔵文化財センター)に至る系統、西側は地区西部から唐木田へ連なる系統、南側は多摩よこやまの道が該当する。他にこれらを補完する「独立系」があり、「基幹空間系」「リング系」「外周系」「独立系」で鶴牧・落合地区のオープンスペースを形成している。 歩行者専用道路は、地区内にある全ての集合住宅・戸建て住宅地、公園や小中学校、施設等を結び、多摩センター駅前の歩行者デッキに接続している。車道との交差部分は、全て歩道橋による立体交差となっていて、車道を一切横断することなく地区全域および駅前へと移動を可能にしている。 景観も重視して街づくりが行われることになり、「ヴィジュアルプラン」が作成された。これは「見る・見られる」を意識したもので、今でいう景観計画の先駆的事例だった。景観も建物まわりの街並みといったスケールだけでなく、街の概括的な眺めを作り出すことが意識された。特に「山」の景観が重視され、基幹空間を構成する「富士見通り」は、富士山の方向に向かって一直線に整備されている。また、自分たちの街を見渡すことができる視座・場所を創出しようと、鶴牧東公園にある小丘の「鶴牧山」をはじめ、地区のあちこちに眺望ポイントが設けられた。 鶴牧・落合地区における最初の住宅供給は1982年に行われ、当時一世を風靡していたタウンハウスを中心に供給された。公団の当時の技術者たちはここを「田園調布のような場所にしたい」という思いがあり、本部にこの計画が持ち上げられた際には、勤労者向けの住宅を供給するという公団の使命に反することから、ひどく叱られたという。分譲価格も一般的に約2500万~2600万円だった時代だったが、ここでは約4800万円で売りに出され、当時新聞で「公的機関が高額物件を売っている」と批判を浴びた。 結果的にこの贅沢な街並みは、日本全国の計画都市のなかでも突出してユニークな都市景観となり、「街全体が公園のようだ」と評価されている。1983年に放映され大ヒットドラマとなった「金曜日の妻たちへ」は、この鶴牧・落合地区が撮影地として多用された。また鶴牧・落合地区の街づくりを評価されて公団は、1983年に「緑の都市賞」、1985年に「日本都市計画学会計画設計賞」、1993年に「日本造園学会特別賞」を受賞している。
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