鯨と絵巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 01:49 UTC 版)
鯨と捕鯨に関する絵巻物。出所不明のものなど含め日本には多数の絵巻物が存在する。 古座浦捕鯨絵巻 - 1725年(享保10年)和歌山県東牟婁郡の古座地方の捕鯨の様子を描いたものとされる。捕鯨も描かれているが、鯨絵巻でもあり11種の鯨類の図説がある。この中で「鰹鯨」とはカツオクジラのことであり、「さかまた」とはシャチのことである。作家C.W.ニコルの著書『勇魚』(いさな)の装丁にも使われている。 磐城七浜捕鯨絵巻 - 1747年(延享4年)森雪竹の作といわれる。現在の福島県いわき市小名浜の捕鯨の様子を描いた図説で鯨を見付け出航するところから始まり、逃げる鯨を追い込んでいく様子から、浜へ引き上げ捌いていくところまでを当時の塩作りなどの生活を背景に捕鯨の流れが良く分かるように描かれている。 肥前州産物図考 - 1773年(安永2年)~1784年(天明4年)木崎攸々軒盛標の作。現在の佐賀県唐津地方である肥州唐津藩の捕鯨を含めた産業を描いた。 小川島鯨鯢合戦 - 1840年(天保11年)秋亭里遊撰・渓柳舎希樂画 佐賀県唐津市呼子地方の小川島という鯨組の捕鯨の仕事前の段取りから仕舞いまでを描いたものであるが、合戦という言葉が使われている。これは鯨と漁師を敵と味方に見立て戦況を伝える形で物語のように表現していて、数ある絵巻物の中でも特徴的なものとし評価されている。 勇魚取絵詞 - 年代、著者は不明で上下2巻からなる。江戸の国文学者である小山田与清の1829年(文政12年)の跋(奥書)があるのでそれ以前の作であることが分かる。長崎県平戸市の島である生月島の御崎浦で益冨・御崎組の鯨方の捕鯨の様子を描いた図説。 大漁万祝図集 - 1845年(弘化2年)から1910年(明治43年)にわたる茨城県地方の海浜地区での捕鯨の記録。
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