高雄臨港線苓雅寮鉄橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 05:51 UTC 版)
「高雄臨港線」も参照 日本統治時代に高雄港拡張と市内環状鉄道構想により高雄港駅からの貨物支線が入船線、あるいは「北裏岸壁線」という名称で高雄川(愛河の旧称)西岸の入船町(中国語版)(現在の駁二芸術特区大義倉庫街に相当)まで伸びていた。高雄川河口に架橋し苓雅寮(中国語版)まで支線が延長された際に苓雅寮大橋として開通、戦後も2008年まで使用された。 形式はU字型桁3連の下路式桁橋(p7-24) 1936年に入船線を延伸する形での当鉄橋架設を含む「第三期高雄港拡張計画」が発表され、苓雅寮大橋として開通した。 竣工時期は不明だが、1940年前後と推定されている。1943年の地形図や米軍の地図には臨港線が掲載されている。 戦時中は鋼材が供出されたが、戦後1949年6月に橋は修復された。1967年には桁が架け替えられた(p7-24)。 2006年、高雄ランタン・フェスティバルのために木製の桟道となり、その後も列車は運転されることはなかった(p86)。 米軍作成の戦前地図(1944年頃) 苓雅寮鉄道橋(2013年)
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