高陞号事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:28 UTC 版)
「高陞号」は、戦争準備行動として仁川に清国兵約1100名を輸送中であった。「浪速」は高陞号に空砲2発をうち、手旗信号で停船を求め、臨検を開始した。 10時40分、臨検を命じられた人見善五郎大尉は高陞号に到着し、ただちに船長トーマス・ゴールズワージーに面会した。人見は船籍証明をチェックし、ゴールズワージーを尋間したのち帰艦し、東郷に復命する。その内容は 本船は英国ロンドン所在インドシナ汽船会社代理店、怡和洋行(ジャーディン・マセソン・コンパニー)の所有船 清国政府に雇用され、清兵1100名、大砲14門、その他の武器を太沽より牙山に運送中 船長にわが艦に随航することを命じたところ、船長はこれを承諾 であった。東郷はただちに「錨をあげよ。猶予してはならない」と信号旗をあげた。 ところが、船長は「重要なことがあるので、語し合いたい。再度端艇をおくれ」と返答する。人見大尉が再度赴く事になるがその際に東郷は「清兵がもし応じないようであれば、ヨーロッパ人船員士官に何が重要かを問い、移乗を望めば、端艇にて連れ帰れ」と訓令した。 人見大尉はまもなく帰艦し、「清兵士官は船長を脅迫して、命令に服従できないようにし、かつ船内には不穏の状がある」と復命した。東郷は「高陞号」の英国船員に向かい「艦を見捨てよ」と信号を送る。その後、「端艇をおくれ」と返信があり、「端艇おくりがたし」と連絡すると、突如「許されぬ」と答えがあった。東郷は再度「艦をみすてよ」と信号し、かつマストに警告の赤旗をかかげた。すると高陞号船上では清兵が銃や刀槍をもって走りまわるさまがうかがえた。2時間に渡る問答の末、抑留が不可能と判断した東郷は「撃沈します」と命令した。 「撃ち方始め」の命令とともに水雷が発射され、砲撃が開始された。1時45分、「高陞号」はマストを残して海中に没した。東郷は端艇を下ろし、泳いで浪速に向かってきたイギリス人船員士官全員を救助したが、清国兵はほとんどが死亡した。 のちに日清戦争で李鴻章に協力する軍事顧問団の1人、ドイツ軍人コンスタンティン・フォン・ハンネケン(Constantin von Hannecken)は、高陞号に乗りあわせていたが、一命を取り留める。
※この「高陞号事件」の解説は、「豊島沖海戦」の解説の一部です。
「高陞号事件」を含む「豊島沖海戦」の記事については、「豊島沖海戦」の概要を参照ください。
高陞号事件と同じ種類の言葉
- 高陞号事件のページへのリンク