高知競馬を取り巻く状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 20:06 UTC 版)
「高知県競馬組合」の記事における「高知競馬を取り巻く状況」の解説
1985年の競馬場移転の際、旧競馬場跡地の売却代金で支払いきれなかった新競馬場建設費用約80億円とその利子を、組合が「競馬場借り上げ料」名目で毎年約5億円(支払いの際に銀行から借りたため利子も含む)ずつ負担し続けたこと、さらに競馬が雇用確保と同和対策の場として利用されたことに加え、景気低迷やアラブ競馬縮小などに伴う売り上げ不振が重なり、2003年には88億円の負債を抱えることとなった。 2003年以降は、負債を清算することと引き換えに、「これ以上赤字が増えれば廃止」という条件が課せられている。このため、組合は、売上高に応じて賞金や各種手当て、運営費などを削減し、賞金や各種手当てを全国の競馬場の中でも最低クラスに抑え込んだ緊縮体制に移行した。この緊縮ぶりは騎手・調教師の収得賞金額(5着以内で得られる賞金)にも影響し、2007年リーディングジョッキーの赤岡修次は高知競馬での年間収得賞金は3027万円であったが、JRAで2日間騎乗し2勝挙げるなどした際に得た収得賞金額は3100万円であった。 このような経営状況を逆手にとって「連敗馬」ハルウララを売り出したり、窮余の一策としてダートグレード競走・黒船賞の開催のために「かいばおけ支援金」を募ったりするなど、批判を浴びるような奇手も交えて経営再建に取り組んできたが、経営状態の悪化を根本的に解決するには至らず、2008年にはついに赤字に転落した。 しかし、雇用の確保を目的に、2003年の負債精算の際に確保した「財政調整基金」を取り崩すことで存続が認められた(なお、この「財政調整基金の取り崩し」は、兵庫県競馬組合などでも実施している)。財政調整基金の残高も1億円程度しかなく、廃止の危機が続いていたが、2012年10月から始まったJRAのIPATでの地方競馬の発売開始、夜さ恋ナイター、一発逆転ファイナルレースなどの好評によりインターネット投票による売り上げが大幅に増加し、廃止の危機を脱すると共に、賞金の大幅な増額が見られるようになっている。 2016年には1991年の売得金レコード(約220億円)を26年ぶりに更新する253億3177万4200円を達成した。その後、5年連続で年間売上レコードを更新している。その影響で重賞競走の賞金も軒並み回復し、一例として当地のダービーに相当する高知優駿の場合2000年までは1着賞金300万円だったが翌年から削減の一途を辿り2007年にはついに1着27万円まで減少したものの、2013年から徐々に回復し2017年には1着500万円と過去最高額を更新、2021年にはついに1着1000万円と南関東、兵庫に次いで北海道、岩手に並ぶ3番目の金額に達した。また、古馬最下級C3級の1着賞金が2021年から50万円になり、全地方競馬中で南関東に次いで兵庫と並ぶ2番目に高い水準になった。
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