高橋 等とは? わかりやすく解説

高橋等

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 10:09 UTC 版)

高橋 等
生年月日 1903年3月20日
出生地 広島県福山市深津町
没年月日 (1965-08-10) 1965年8月10日(62歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
所属政党 自由党
自由民主党
称号 勲二等旭日重光章
第19,20代 法務大臣
内閣 第3次池田改造内閣
第1次佐藤内閣
在任期間 1964年7月18日 - 1965年6月3日
選挙区 旧広島3区
当選回数 6回
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高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 1965年8月10日)は、日本逓信官僚政治家衆議院議員(6期)、法務大臣を歴任。

来歴・人物

広島県福山市深津町出身。福山中学校(現・福山誠之館高校)から1921年第六高等学校を経て1927年東京帝国大学法科大学英法科卒業。高等文官試験行政科に合格し逓信省入省後、札幌・熊本通信局で幹部を務めた後、逓信省簡易保険局管理課長、商工省金属回収本部総務課長、広島商工局商工部の部長を歴任。また、軍需省では大阪燃料局の局長などを務めた。

終戦後の1949年、旧広島3区から自由党公認で第24回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。以降、在職中に死去するまで連続6回当選(当選同期に佐藤栄作岡崎勝男前尾繁三郎橋本龍伍麻生太賀吉小渕光平西村英一橋本登美三郎福永健司塚原俊郎藤枝泉介木村俊夫中川俊思稲葉修河本敏夫森山欽司床次徳二有田喜一など)。党内では、自由党政務調査会内閣部長、自由党国会対策委員会副委員長などを歴任。その後は自由民主党に所属し、1956年石橋内閣1957年第1次岸内閣防衛政務次官を務め、同郷の池田勇人に近く池田の懐刀ともいわれ与野党間の折衝に尽力した。短い頭髪、鋭い眼差しは人目を引く存在であった。そして1964年には第3次池田改造内閣第1次佐藤内閣法務大臣を務めた。法相時代に吹原産業事件が発覚し、黒金保証書について「偽造であり、事件は政界とは何ら関係無い」と記者会見を行った。

1965年8月10日、62歳で死去した。勲二等旭日重光章受章。

高橋の死後、地盤は参議院議員だった宮澤喜一が引き継いだ。

参考文献

公職
先代
賀屋興宣
法務大臣
第20代:1964年 - 1965年
次代
石井光次郎




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