騎士の身分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/21 06:52 UTC 版)
騎士は叙任されるもので、生まれついての身分・階級ではなかった。その点において単純に騎士を貴族とみなすことはできない。貧しい兵士が騎士身分に取り立てられることもあり、いったん騎士身分を得るとその長子も騎士となることが多かった。フリードリヒ1世(1122年-1190年)は農民が騎士になることを禁じたが、12世紀に作られた武勲詩『ジラール・ド・ルシヨン』には、実際には農奴が騎士身分を得ることもあったことを伺わせるくだりがある。とはいえ騎士は、その装備や馬を維持できるだけの財力のある領主階級と事実上重なる部分が大きかった。12世紀に騎士修道会が創設されて宗教的騎士道が確立するとともに、騎士は社会的に認められた上流階級となり、13世紀にかけて一種の排他的・閉鎖的身分集団と化した。なお騎士修道会の構成員は公的には修道士であるためウォリアーモンク(戦う修道士)と呼ばれ区別された。ドイツでは、騎士の黄金時代を迎えたホーエンシュタウフェン朝の後、次第に騎士の身分は一種の貴族としての性格を強めた。他方、商売などで富裕になった者が金で騎士の身分を得ることも珍しいことではなくなった。 騎士全盛期のドイツでは、多くの平騎士は聖俗の領主や王に臣従する非自由民たるミニステリアーレ(家士)であった。貴族にせよミニステリアーレにせよ、大多数のさほど裕福でない下級騎士は平時は農耕や牧畜を行っていた。ミニステリアーレは不自由身分のまま騎士として戦っていたが、やがて自由身分の封臣同様に封土を得るようになり、下級貴族と同化してドイツの騎士の中心的な担い手となった。一部の騎士はローマ王直属の帝国騎士(ドイツ語版)となり、皇帝自身や貴族の男子も叙任を受けて広義の騎士身分に属していた。16世紀初頭の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は最後の騎士と呼ばれた。 イングランドでは騎士階級は、男爵以上の爵位貴族とは区別され、今日の英国ではナイト爵は一代限りの爵位となっている。英国では騎士の敬称は Sir(卿)という(ただし、騎士は中国や日本の卿に比べてはるかに低い階級である)。また、英国貴族の敬称 Lord も同じく卿と訳されるため誤訳・誤用を招くこともある。
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