駅名決定までの経緯
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計画時からの仮称であった「新函館」に、所在地である北斗市の名を加えたものである。 開業に向けた駅名選定の時期に、北斗市の海老沢順三市長(当時)が市議会で「(北斗市に出来るのだから)北斗駅にすべきだ」と発言して異議を唱えた。対して函館市側が即座に抗議したことで、駅名の正式決定までに様々な紆余曲折があった。そのため、「函館北斗」などの仮称も見られた。 経過 2012年(平成24年)6月15日:新駅の名称について、北斗市議会が「北斗函館駅」とするように求める議案を多数決で可決。 2013年(平成25年)3月25日:函館市議会が、仮称通り「新函館駅」とするように求める議案を多数決で可決。 10月29日:函館商工会議所の松本栄一会頭が記者会見で妥協案として「新函館北斗」を提案することを表明、北海道側も函館市・北斗市と調整に乗り出す考えを示した。 11月25日:函館市の工藤壽樹市長が北斗市に協議の申し入れを行い、北斗市の高谷寿峰市長が協議に応じる考えを示した。 11月26日:函館市および北斗市の市長および議会の正副議長の6人で、正式に協議することが決定した。 12月16日:北斗市、函館市の間で初めて会談が行われたが、平行線に終わり、従来の主張を再確認する程度にとどまった。 2014年(平成26年)4月14日:北斗市、函館市の間で再び協議が行われたが、平行線のままとなり、最終的に双方とも駅名案を出さずにJR北海道に一任する方針となった。 5月14日:JR北海道の島田修社長が、北海道の意見を聞いた上で駅名を決めると発言。 6月4日:北海道が6月中に「新函館北斗駅」を提案する方針を固めた。 6月8日:高橋はるみ北海道知事が、新駅名に関する質問に対し即答を避けた。 6月10日:高橋が「仮称である『新函館』と所在地である『北斗』を駅名に入れてほしい」と回答。 6月11日:JR北海道が同日行われた定例記者会見において、駅名が「新函館北斗駅」に決定したことを正式に発表。
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駅名決定までの経緯
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駅名決定前の仮称は「七戸駅」(しちのへえき)であった。 七戸町商工会など町商工関係団体が「七戸駅」を要望したのに対し、当時の七戸町長・福士孝衛は、「七戸に新駅が建設されるのは上十三地域の協力があったからこそ。それを無視して行政の立場から『七戸駅』にするとは言えない」と、七戸単独の名称に固執しない考えを明らかにしている。その後、地域団体のひとつである「上十三地域広域市町村圏協議会」は2008年(平成20年)11月5日までに、開業時の駅名として「七戸十和田駅」を要望することで合意した。これに対し福士は、議会や町民の意向も踏まえて駅名案を最終決定し、運行事業者に要請するとしていた。 2009年(平成21年)7月29日、JR東日本盛岡支社は駅名を「七戸十和田駅」とすることを発表した。支社長の福田泰司は「地元の七戸町と観光地として有名な十和田湖への玄関口になるという観点から総合的に判断した」と述べた。
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