駅名決定まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:57 UTC 版)
駅舎計画では、新駅は「日野春小淵沢間新停車場」と呼ばれていたが、駅の開業時期を報じた1918年(大正7年9月24日)の峡中日報は「鳥窪駅の開業期」という表現になり、「長坂駅」という表現は12月7日山梨日日新聞の「新設停車場」という記事ではじめて登場している。当時の鉄道院の駅命名方針は、呼びやすいこと、古来からの通称で響きがよいことであり、10月16日峡中日報の「新駅名稱詮議」という記事の中で、「土地の名稱に因めば日野春村の旧長坂大日向に属するをもってこれを捨つる能わず、然れども鉄道の工区関係よりすれば従来鳥窪と稱し今日まで通用し来た事実に微してこの名稱も妥当なるものあり、鉄道院にては今日の方針として駅名は最も呼び易くかつ古来の名稱一般に響きの大なるもの選ばんとする意味もあり、鳥窪は名稱ふるわず、寧ろ辺見駅ないし奥辺見の名稱を附するが徹底的包含的の好名稱ならずやとの論議もあり折角詮議中とのことだ」と報じられていることから、開業2カ月前の段階で駅名は未定だったことがうかがわれる。「長坂駅」と決定された経緯については不明である。(出典:)
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