馬頭の構造と歴史とは? わかりやすく解説

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馬頭の構造と歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:58 UTC 版)

馬頭サイフォン」の記事における「馬頭の構造と歴史」の解説

この地区台地であり、谷を刻んで流れている松浦川のほかは、水田水源乏しかった桃川では室町時代末期領主による灌漑事業始められたものの、松浦川左岸桃川下分上原水田面より数m低いところを川が流れているため取水は困難と考えられていた。これを技術により可能としたのが成富兵庫茂安であったの尾堰が完成したのが1550年天文19年)であり、馬頭取水実現するまでに約60年要した馬頭サイフォン完成辰巳用水1632年寛永9年))より20年余り早く逆サイフォンとして日本最古である。ただ、その技術日本どのように伝来したかについては、定かではない。 U字状のサイフォン立ち上がり部分は、上流側右岸)が下流側右岸)の2倍の長さとなっている。この高低差利用した水圧下流側右岸)から自然に湧き出す原理大小2つ暗渠設置され灌漑面積異なる2地区それぞれ送られる暗渠部分は「馬頭」と呼ばれる木製50個ほどつなぎ合わせたものが用いられた。は高さ三尺二寸(≒97cm)・直径一尺七寸(≒51.5cm)または一尺三寸(≒39.4cm)と細長く底部から口の部分向かって少しずつ直径大きくなる重ね合わせ可能な形状木桶腐食により漏水増えていくため2年1回造り替え必要なほど、維持管理費用労力要した江戸期修理の際は近隣の村から人夫雇っていた。そのため、松の丸太をくり抜いた管や箱型のものを代用にしようと試みられたものの思わしくなく、結局当初馬頭戻されたという(『疏導要書』による)。木桶をつなぐ方式は、可撓性高く壊れにくいという利点があった。そのため、この方式は1928年昭和3年)にコンクリートに付け替えられるまでの310余年の間続けられた。明治地租改正以後受益者構成する水利組合などの管理となり、現在も農業用水賄う施設として利用され続けている。

※この「馬頭の構造と歴史」の解説は、「馬頭サイフォン」の解説の一部です。
「馬頭の構造と歴史」を含む「馬頭サイフォン」の記事については、「馬頭サイフォン」の概要を参照ください。

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