馬韓語と百済語の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 04:45 UTC 版)
馬韓の地域は後の百済になったが、馬韓語と百済語は異なっていたと考えられる。というのも、百済語は高句麗語と馬韓語の混合言語と考えられるからである。李基文(1930年生)(朝鮮語版)は、百済において王族をはじめとする支配層と民衆を中心とする被支配層とで言語が異なる二重言語国家だったとし、この二重言語状態は高句麗と同じ夫余系言語を話す人々が韓系の言語を話す馬韓の住民を征服したことによって生じたと推定した。百済の王族は高句麗から出ているため、彼らは扶余系高句麗語を話していたと考えられる(扶余系百済語)。一方で百済の民衆は韓系諸語を話していた(韓系百済語)。
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