食糧危機・伝染病蔓延
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/09 23:07 UTC 版)
「ウッチ・ゲットー」の記事における「食糧危機・伝染病蔓延」の解説
1940年末以降、食糧事情が限界に達し、ゲットー内に飢餓や病が蔓延するようになった。1941年1月のウッチ・ゲットー再編成のための会計検査院の報告によるとウッチ・ゲットー住民の消費する食費は監獄囚人の消費する食費の半分であったという。 悲惨な食糧事情は伝染病を引き起こした。1941年5月のゲットー保健局の公式記録によればゲットー住民のうち2万人が急性結核を患っていたという。ゲットー内の医師アルノルト・モストヴィッツは「史上最大の赤痢が流行がゲットーを覆っている。住民17万人のうち、5万人から6万人が患っている。死亡率は高い。急性結核も蔓延しており、多数の犠牲者が出ている。腸チフスも流行しており、私も患った。同じく発疹チフスも押し寄せようとしている。」と書いている。4万3000人が病と飢餓で命を落とした。犠牲となるのは大抵体力に劣る子供や老人であった。1941年上半期の全死亡者のうち5分の1は14歳以下の子供であった。 このような状況の中、1941年末にドイツ・オーストリア・ルクセンブルク・ベーメン・メーレン保護領(チェコ)から更に2万5000人のユダヤ人がウッチ・ゲットーに移送されてきた。彼らはゲットーの先住者たちからは全く異質な存在であり、招かれざる客であった。この急な移送のためにゲットー内の食糧・物資不足はますます深刻になった。 ウッチが属するヴァルテラント大管区のSD長官ヘップナー親衛隊少佐は、1941年7月にベルリンの国家保安本部ユダヤ人課課長アドルフ・アイヒマン親衛隊中佐に宛てて「今年の冬にもユダヤ人全員には食糧を支給できなくなるかもしれない。労働不能なユダヤ人は何か速効性のある方法で始末するのが最も人道的ではないだろうか。真剣に考慮すべきだ。この方が餓死よりは気持ちがいい。」と提案している。 ドイツ当局はウッチ・ゲットー内の15万人のユダヤ人のうち「労働可能」な者は5万人にすぎず、残りは食糧を無駄に使うだけの「労働不能」者と見ていた。
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