食糧事情の変化と制度の限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 04:04 UTC 版)
「食糧管理制度」の記事における「食糧事情の変化と制度の限界」の解説
食糧管理費の増大 米価は米価審議会で決定されたが、1960年には従来の物価に連動したパリティ方式に基づいていたものから、高度経済成長に伴う都市と地方の所得格差に配慮した所得補償方式に移行し、米価はインフレーションに応じて高騰するようになったため、農家は米生産に関しては経済的リスクがなくなった。その結果、他の農作物に優先して生産されたことで供給過剰となり、日本国政府の在庫費用が増大した。また一方で、売渡価格は都市生活者に配慮して買入価格を下回ることとなったため、ここに逆ザヤが生じて、1980年代にはいわゆる食管赤字は1兆円にも達し、日本国政府の財政赤字要因3K(コメ、国鉄、健保)の筆頭に上げられるようになった。 1987年には、生産者米価の引き下げが行われ、逆ザヤは解消された(ただし、日本国政府の在庫管理コストは依然残る)が、現在に至るまで負債(主に食糧証券により、借り換えで賄う)の解消は遅々として進んでいない。 米流通の硬直化 一方で、消費者への流通は在庫期間の長いものから売り出されるとともに、品種にかかわらず混合されていたために味が悪く、消費者は多少高くてもおいしい米を求めるようになり、最初は管理米の枠外として縁故米や「ヤミ米」として流通する。日本国政府はこれを追認する形として、一定以上の品質を確保した米だけを自主流通米として流通させることを認めた。それでも政府管理の外においての流通は拡大し、日本国政府も食管赤字の拡大を避けるため、これらの流通を黙認した。 その結果、食糧管理法廃止直前には、自主流通米は政府管理米の2.5倍に達し、自由米は政府管理米の30%を占める状況となっていた。
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