食糧・消費財
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:59 UTC 版)
「ナチス・ドイツの経済」の記事における「食糧・消費財」の解説
食糧調達は海外輸入が途絶したが、非制圧諸国からの移入により状況は悪化しなかった。他方、ポーランドをはじめ占領された地域は食糧不足となった。食糧配給では、ドイツ人が1人あたり2600キロカロリーで、ポーランド人は609キロカロリー、ユダヤ人は503キロカロリーだった。軍以外の食糧消費額は1942年までに20%減少したが、これは肉類が減少してジャガイモや豆が増加するといった質の悪化によるもので、カロリーベースではほとんど変化はなかった。 消費財生産は1940年を100とすると44年には食糧が88、皮革・繊維・被服の分野は79にまで減少した。また穀倉地であったウクライナやポーランドを奪還されて以降は、食糧調達を国内生産に頼らざるを得なくなった。ヒトラーは総力戦によって国民生活に負担をかけることを躊躇しており、戦局が一時的に好転すると1942年1月の布告を後悔する言動を見せたり、1943年4月に民需品購入の無用な制限を望まない旨を言明していたが、1944年以降は食料品の不足が明らかになった。また1943年からは連合軍の戦略爆撃が盛んになり、1944年9~10月の爆撃ではダイムラー・ベンツの工場が操業停止に追い込まれるなど多大な損害を与えた。政府は空爆の被害を抑えるため、生産拠点の移転・疎開・分散化を図ったが、すでに戦後を考えていた企業経営者による消極的抵抗も見られた。
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