食糧独裁の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「食糧独裁の開始」の解説
1918年5月に、ロシア共産党は「食糧独裁」を行いはじめた。農民の余剰食糧をすべて都市に集めるために、農村に、武装した食糧徴発隊を送り込み、徹底的な徴発を行った。第1次大戦時から食糧徴発は行われていたが、帝政政府やロシア臨時政府にはとうとう完遂できなかった。ソヴィエト政府のみが、みずからの正義を強く確信していたために、ある程度まで成し遂げた。またロシア共産党は、欧米諸国や日本による対ソ干渉戦争やロシア内戦にあたって、軍隊再建のために農村から人や馬を供出させた。農村には労働力や農産物の蓄えといった余力がなくなっていった。食糧調達は、1919年1月には、中央で計画されたプランに変わった。県、地区、郡、村落共同体(ミール)ごとに、予測された収穫に対して一定の割り合いを国家に供出するのである。対象となる食糧は、穀物のほかに、じゃがいも、蜂蜜、卵、バター、ひまわりなど油を採るための植物、肉、クリーム、ミルクなども含まれており、各ミールは割り当てを納めるための連帯責任を背負い、村全体の割り当てを完全にまとめてからでないと当局は受け取らなかった。納入した農産物は国家に買い取られるのだが、代金はほとんど名目だけであった。ルーブルの価値は下落し、1920年末には金ルーブルに対して4%の価値しかなかった。
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