飛騨川バス転落事故への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:21 UTC 版)
「上麻生ダム」の記事における「飛騨川バス転落事故への対応」の解説
詳細は「飛騨川バス転落事故」を参照 上麻生ダム運用開始から42年目の1968年(昭和43年)8月18日午前2時ごろ、上麻生ダム直下で観光バス2台を巻き込む大規模ながけ崩れが発生した。当日は記録的な集中豪雨で道路が各所で寸断されており、巻き込まれた観光バスも乗鞍岳へ向かうツアーを中止し、バス5台の車列を成して名古屋市へ戻る途中で立ち往生していたところだった。 巻き込まれなかった他のバスの運転手らが上麻生ダム見張所に向かい、事故の発生を知った職員は警察署に通報。同時に消防団と協力して残りのバス乗客を待避させ、二次災害に備えた。朝になるとニュースで全国に報道されたほか、警察・消防や自衛隊が行方不明者の捜索を開始した。中部電力も大勢の社員を派遣し、下流の川辺発電所に対策本部を設置して支援した。2台の内1台は川底に埋まっており、中部電力は上麻生ダムと上麻生発電所、上流の名倉ダム・名倉発電所を活用し、短時間だけ上麻生ダム直下の水量をゼロにする「水位零作戦」を決行。ダムから900メートル下流で当該車両を発見した。水位零作戦はその後も実施され、車内から1遺体を収容した。残りの乗客はすでに流されていたため、捜索範囲は下流の川辺ダムから伊勢湾にまで広げられた。 水位零作戦は、洪水調節能力のない上麻生ダムにとって、ダムを決壊させかねない危険な操作であった。しかし、懸命の捜索活動にもかかわらず、最終的に乗員・乗客107名中104名死亡という、日本バス事故史上最悪の惨事となった。現場には慰霊碑として「天心白菊の塔」が建立され、以来清掃作業は上麻生発電所の所員によって毎月行われている。
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