川辺発電所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
岐阜電力時代の1922年6月、上麻生発電所よりも下流側の開発を目的に「米田」・「鵜沼」両発電所を計画して水利権を出願した。うち下流側の鵜沼発電所は木曽川合流点の下流約12km地点に設置する計画であったが、途中に景勝地日本ラインを含むことから再検討され、一部区間を捨てて「森山発電所」という一つの発電所計画にまとめられた。だが下流の水量に影響を与えるとして逆調整池の設備が必要となったため、1930年1月、分割され3つの発電所を置く計画に改められた。3地点のうち中央部が「森山第一発電所」改め川辺発電所であり、1935年8月に着工され、1937年(昭和12年)12月9日に竣工した。 川辺発電所の所在地は岐阜県加茂郡川辺町大字西栃井。高さ25.0mのダムにより落差を得て発電するダム式・調整池式発電所であり、主要設備として日立製作所製のフランシス水車・発電機各3台を備える。発電所出力は初め26,500 kW、のち30,000kWである。送電線は上麻生発電所と羽黒変電所を結ぶ既設77kV線が経由するほか、関西の木津変電所へ至る長距離154kV線(後述)が引き込まれその起点となった。 こうして3か所の発電所が相次ぎ完成したが、旧「森山発電所」を3分割したうちの上流地点に計画された「下麻生発電所」は、落差が少なく地形上水路建設に多額の費用を要するとして開発延期となった。
※この「川辺発電所」の解説は、「東邦電力」の解説の一部です。
「川辺発電所」を含む「東邦電力」の記事については、「東邦電力」の概要を参照ください。
- 川辺発電所のページへのリンク