中部電力発足当時の送電線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 03:47 UTC 版)
「中部電力パワーグリッド」の記事における「中部電力発足当時の送電線」の解説
中部電力は、1951年(昭和26年)5月、電気事業再編成によって、日本発送電と中部配電の事業を引き継ぎ、中部エリアの発送配電一貫経営の電力会社として発足した。 発足当時、中部電力の発電設備容量(1,030 MW)の7割超が水力発電設備(737 MW)であった。電気事業再編成では、中部エリアの水力発電所のうち、信濃川筋のものは東京電力に、木曽川筋のものは関西電力に引き継がれたことから、中部電力の主な水力発電所は、天竜川筋と飛騨川筋にあった。名古屋市を中心とする一帯が電力需要の中心地であることは、現在と同様であった。 このため、当時の中部電力の主な送電ルートは、天竜川筋の電気を南向開閉所(長野県上伊那郡中川村)から日進変電所(愛知県日進市)まで送る154 kV天竜幹線と、飛騨川筋の電気を川辺発電所(岐阜県加茂郡川辺町)から岩倉変電所(愛知県岩倉市)まで送る154 kV川辺岩倉線であった。静岡県へは、日進変電所から77 kVで送電していた。三重県の大部分は、中部電力の四日市変電所から電気の供給を受けていたが、中部電力の発電所から同変電所に送電する手段がなく、同変電所は、関西電力から受電していた。
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