中部電力時代~日本選手権4連覇とソチ五輪不出場~
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:49 UTC 版)
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2009年-2010年シーズンには、高校卒業を前に市川美余、清水絵美、佐藤美幸からなる長野県のカーリングチーム「wish」に移籍加入する形で、この年に創設された中部電力カーリング部のメンバーとなり、当時チーム最年少ながら後の退団まで不動のフォーススキップとなった。2009年12月の日本ジュニア選手権では3位にとどまり、個人としての3連覇は逃したものの、2010年3月の日本カーリング選手権大会に個人としてもチームとしても初出場して3位に入賞する。 高校卒業後は地元の北見市を離れ中部電力に入社。翌2011年から日本選手権を3連覇し、2013年の世界女子カーリング選手権にも出場して7位となり、ソチオリンピックの国別出場権獲得はならなかったが、最終予選への国としての出場権を確保した。 しかしソチオリンピック出場をかけた2013年9月の世界最終予選日本代表決定戦で、「追われる立場。負けられないプレッシャー」に屈する形で、小笠原歩が率いる北海道銀行フォルティウスに敗れて出場を逃した。ソチ五輪後に開催された日本選手権では、ソチ五輪で当時の日本女子最高順位タイとなる5位になった北海道銀行を破って4連覇を達成するも、藤澤にとって「どうしたらいいか分からなくなった」と思うほどの大きな挫折だった。 5連覇がかかった2015年の日本選手権では決勝トーナメント進出を果たせず敗退、藤澤はこの大会を最後に2015年3月末、中部電力を退社した。「地元の北海道北見市での活動を検討している」と報道された。
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