飛騨征伐・朝廷の命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 16:26 UTC 版)
しかし、姉小路氏は織田家に味方し、羽柴秀吉に敵対したため、富山の役の一部として、秀吉の命を受けた金森長近・金森可重の軍に攻められた(飛騨征伐)。小島氏も小島城に籠城するが不意討ちにて落城し、一族は史料の上で各々の生死の確認も不明となった。金森軍を先導し、独断で攻め上がったのはかつて姉小路氏や時光が飛騨国より追い落した広瀬宗直・牛丸親綱・江馬時政・鍋山右近大夫であった。落城後、京都から朝廷の使者が姉小路小島家へ朝廷の勅命を携えて来たが間に合わなかった。。
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