飛騨新道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:46 UTC 版)
「大滝山 (飛騨山脈)」の記事における「飛騨新道」の解説
岩岡村(梓川村)の庄屋の判次郎(当時の上高地温泉の経営者)と三郷村小倉の中田又重郎が中心となり、信州と飛騨とを結ぶ最短距離の道として飛騨新道(小倉街道)を1835年(天保6年)に開いた。山麓の三郷村小倉から鍋冠山と大滝山を経て上高地に至る32 kmの区間が1830年(天保元年)に開通し、上高地から中尾峠を経て中尾村までの12 kの区間が1835年(天保6年)に開通した。利用者が少なく冬は雪に閉ざされ、夏は雨により崩壊が相次いで、25年後の1861年(文久元年)に廃道となった。
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